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満たさとは?/ アットローン

[ 1496] 世界よ、もっとウインプ達の憎しみで満たされろ - NWatch ver.X
[引用サイト]  http://d.hatena.ne.jp/Rir6/20080318/1205768183

なんか既視感のある話だなぁと思った。どういうことかというと、このダンコガイとかいう輩は「自分を助けられるのは自分だけだ。だから社会に頼らず自分で自分を助けろ」と言い、それに尻尾振って賛同する輩もいれば、「いや、個人ではどうにもならないから、社会に訴えかけることで問題を社会化し、それによって問題を解決するんだ」というような主張をする人間も居て、それが格差問題における「自己責任派v.s.福祉派」や、ゼロ年代における「決断主義v.s.『社会が悪い!』」という対立軸とよく似てるからです。
さて、ではこの二つの対立、単純に言えば「自己責任による問題解決」と「社会の責任による問題解決」、どちらが正しいのかと言えば……結論から言うならば、両方大間違いであると言える。何故か、だってどんなことをしたって、問題は解決なんかしないもの。
だが、18〜20世紀ならいざしれず、そもそもこの21世紀の後期近代においては、ルールをつくる側なんてものは存在していない。考えてもみるが良い、1人の国会議員が居るとして、じゃあこいつが何か既存の社会のルールとは違うルールをつくりたいと考えたとき、それが実現できる可能性がどれほどあるか?首相ですら一人の日銀総裁を自分の意のままに決めることが出来ないというのに、一体どこのどいつが自分の自由にルールを決められるというのか?ベンチャー企業の社長?ご冗談を。彼らこそまさに資本主義の奴隷ではないか。社会のルールを決める力、それは一人一人の手の中には全くない。それを持っているのはやはり「社会」だけなのである。
では、やはり「社会の責任による問題解決」が正しいのか?つまり、「俺たちは、社会を変えるために、インターネット上で今の社会の問題点を指摘し、改善するために社会に働きかけるんだ」という意見について。この様な道筋をとる人は、俗流若者論を批判する人や、若い知識人などに多い。
だが、僕はここではっきり言っておこう。「例えどんなに人々が団結したとしても、社会の根本のルールは変わらないし、そうである以上搾取も終わらない」と(ここでいう「搾取」とは、自分の何かが他者に剥奪されることである。)。なんか「社会の責任による問題解決」派の人たちは、「社会」というものを自分たちを守ってくれる存在だと考える節がある。つまり、「社会」というものによって、私たちは福祉を受けたり、公共サービスを受け取られる。だから社会は私たちの味方だと。
だが実際は、人々にサービス残業をさせたり、人を過労死に追い込む、そんな存在こそがまさに「社会」なのである。「社会」はまず第一に私たちから何かを奪う存在である。しかし、奪うだけでは流石にその内私たちが死んでしまうので、奪ったモノを少し施し、生かさず殺さずの状態に私たちをおく、そしてそれにより自分が未来永劫存続できるようにする、それが「社会」の正体である。*2そしてそうである以上、社会は決して搾取を止めない。
そして、その事実は更に残酷な真実を私たちに知らしめる。社会が、自己を存続させるために「搾取」を必要不可欠とするならば、そもそもサービス残業などが象徴する搾取問題の「解決」なんてものは、まずありえないということになるのだ。
では、「解決」なるものが存在しない以上、私たちはこの「社会」という地獄をひたすら耐え抜き、人生に終わりが来るのをじっと待つしかないのだろうか?
さんざんここまでの文章でニヒリズムを煽ってきた僕が言うのもなんだが、それは違う!確かに私たちは問題を解決は出来ないかもしれない。だが、そもそも私たちは本当に「解決」なんかを望んできたのだろうか?胸に手を当ててよーく考えて貰いたい。私たちがダンコガイの文章やid:guri_2の文章、金持ちマッチョどもの「自己責任で頑張ればなんとかなるんだ」という発言を見たり聞いたりしたとき、私たちの胸には何が生まれたのか?「ああいう人たちになりたいなぁ」という憧れ?「そういう誤解を解いて、自己責任じゃ何とかならないと分かって貰いたい」という良識?違うでしょう。私たちはまずこう思ったはずです。「こいつらを酷い目に遭わせてやりたい」と!つまり憎しみです。私たちはどうしてもそれをオブラートに包んで、何か「それは自己責任ではなくて社会の責任だ」とか、「そのように言うあなたたちは既得権益によってそんなことが言えているんじゃないですか」という様な社会的に正しい意見に仕立て上げようとしてしまいます。ですが、そうやって社会的に正しい意見にすればするほど、本当に言いたいことは消えていってしまいます。じゃあ、「そうだよね、貧困とか格差は社会の責任だよね」と理解をしめしてくれる金持ちなら良いのか?「しょうがないなぁ、職がないなら僕が雇ってあげるよ」と言う会社社長なら良いのか?違うでしょう。私たちが本当に言いたいこと、それは「てめーらうぜぇ。ぶん殴りたいぐらいむかつく。とっとと消えろ」ということなはずです。言葉で相手を傷つけたいはずなんです。だったら恐れることはない、それをやれば良い。*3
もちろん、このようなことを言うと大きな反発を食らうことも知っています。「彼らは別に善意で言っているんだから、それを罵倒するのは酷い」と。だが、そもそも何で善意の発言は罵倒しちゃいけないんですか?というかそもそも人を憎み、罵倒することに「正当な理由」が必要であると、そう考えること自体、「正当な理由なき罵倒の自由」を社会に搾取されていることに他ならないんじゃ、ないんですか?
そもそも彼らマッチョは既にマッチョなんですから、金とか名声とかそんなものは十分あるわけです。だったら何でその上私たちが、インターネット上で彼らが傍若無人に自慢や根性論を書くのを容認しなきゃならないのか?僕にはそんなもの奴隷根性であるとしか思えません。ウインプはマッチョの文章をインターネット上で見つけたらすぐに罵倒し、そのマッチョを追い出す。これぐらいのことをしても十分OKでしょう。というか、何でウインプたちがそういうことをしないのか、僕は不思議で仕方ありません。
悲鳴を上げて燃えさかるコメント欄から飛び出してきた管理人をtwitterでなぎ倒した時など胸がすくような気持ちだった
許しを請う謝罪エントリが私の振り下ろした手の平とともに金切り声を上げるJ-CASTにばたばたと薙ぎ倒されるのも最高だ
哀れな一般人達が雑多な「感想」で健気にも立ち上がってきたのを学者ブログの「論評」がムラ区画ごと木端微塵に粉砕した時など絶頂すら覚える
必死に守るはずだったブログが蹂躙され最新記事から順番に論破されていく様はとてもとても悲しいものだ
演説笑える。10年経って、20年経って読み返したらどう思うのだろうね。あなたを含め、対象となる人達を一室に集めて、対面で対談させたら、「死ね」「自殺しろ」などと、あなたはやっぱり言うのだろうか。妙に澄んだ瞳で上記の演説を終え、ガッツポーズを決めるのだろうか。
>>演説他人の創作物のパロってのが、矮小だなぁ、と思いました。(著名なネタを引っ張っての)権威主義的認知要求は読む価値が無い。ちゃんと自分の言葉を使った方がいい(マッチョ的要求なのかしら?)。
社会は確かに搾取で成り立ってるが、奪うだけが社会で有るとしても団結して味方を増やす位はウィンプでも出来るな。で、はてなは貴方から何を搾取したのかな?
>死ね! か、、、id名指しされて黙ってるのもイヤだな。ネタだとは思うけど、不満があるなら実際会って殺しあってみるか?こぶしとこぶしがぶつかり合う、本当のケンカをしたことあるのか?殴られると痛いぞ?血が出るぞ?骨折れるぞ?それでもいいなら会おう。連絡くれ。
えー。ワタシが“戴冠せるアナーキー”故に何も言えませんが(笑)殺るなら何も知らない一般市民よりも王室やビルの32階でふんぞり返ったウンコや大手企業、もしくは実社会自体の方が...。ま。流石に人の文句は言えませんが。“はてなのグレートパンク”さんよ。シドがそうであったように根は良い奴なのは分かるが、ここでぶつけるならもっと違う手段が良い。違うか?
演説の元ネタにふれてなかったり、2chさけてたり。。。結局、1行目のピンクな文字の中にご本人が含まれてるような。日記だからいいんですけどね。そう、ブログや日記で自分の考えてることを発信するのはいいのよ。そこに意見が集まる。そうやって成長していくのよ。
あんたも昔書いてたけどインターネットも社会の一部だからね。眠たいこというアルファのブログを炎上させてもそれも社会の一部。男は黙って自爆テロ。ま、これも直に社会に組み込まれていくでしょう。宇宙は無限の牢獄です。
ルサンチマン垂れ流し日記の作者を演じてるんだと思われこの視野狭窄と情動失禁が素だとしたら、今両手に包丁持って近くの通りで絶叫してたとしても驚かんよ
[悪意]id:guri_2という、こいつが生きているからこの世界は駄目なんだというような糞野郎を、このリルリルが貴重な時間を浪費して罵倒してあげる

 

[ 1497] 法定書面の要件を満たさない電話機リース契約書(消費者からの相談事例)_国民生活センター
[引用サイト]  http://www.kokusen.go.jp/jirei/data/200703.html

電話機リース会社の代理店であるサプライヤーから「大手電話会社から来ました。インターネットを利用するためには、今使っている電話機を変えて、回線の工事をしなければなりません。新しい回線に変更後は、今使っている電話機が使えなくなり、インターネットの契約はできません」等と言われた。インターネットに興味があり、これから始めてみたいと思っていた。
インターネットに関しての知識がなかったため、リースの電話機でないとインターネットを利用することができないと思い、自宅用の電話を約76万円、店舗用の電話を約67万円、計2台のリース契約を結んだ。契約書には、自宅用、店舗用の2枚とも営業員の指示どおり店舗名を記入し、リース代金は店舗名義の口座から引き落とすことにした。なお、自宅用電話機のリース代金は、事業の経費として計上していない。相手方の説明に疑問を抱きながらも月々の支払いを続けてきた。
契約後、約3年が経過したとき知人から当該契約についてのアドバイスを受けたので、リース会社に解約の相談をしたが無理だと言われてあきらめた。しかし、最近になって問題のある電話機リース契約に関する報道を知った。自分も問題のある契約と思ったので、解約したい。
国民生活センター(以下、当センター)では相談者からの聞き取りの結果、二つの契約のうち店舗用に購入した電話機については、事業のために用いていたことになり、事業者からの相談は当センターでは扱えないことを説明し、自主交渉を勧めた。
次に、相談者が自宅用に購入した電話機の契約書面を確認したところ、クーリング・オフの記載がなかった。既に、契約してから4年以上経過していたが、クーリング・オフ通知をリース会社とサプライヤーに送付するように助言した。リース会社は「サプライヤーと交渉してほしい」という態度であり、サプライヤーは相談者のクーリング・オフに応じなかった。そこで、これ以上相談者がサプライヤーと交渉することは難しいと判断し、当センターがあっせんを行うことにした。
当センターはまず、サプライヤーと交渉に入った。当初、サプライヤーはかたくなにクーリング・オフを拒否した。しかし、当センターから、
を指摘した。その結果、サプライヤーは、約30万円の返金を申し出た。しかし、当センターは再度、法定書面の不交付の状態でありクーリング・オフが可能なため、全額返金するべきではないかと主張した。
その結果、サプライヤーは「法律を順守しようと思うので、無条件解約に応じる」と、最終的に当センターの説得を受け入れて、全額返金に応じることになった。
営業のために、もしくは営業として訪問販売で契約した場合は、特定商取引法の適用が除外される(法26条)。この点を悪用し、個人事業主等をねらった悪質な電話機リースの訪問販売にかかわる苦情が急増したことから、経済産業省は’05年12月に通達の改正を行い、「例えば、一見事業者名で契約を行っていても、購入商品や役務が、事業用というよりも主として個人用・家庭用に使用するためのものであった場合は、原則として本法は適用される。特に実質的に廃業していたり、事業実態がほとんどない零細事業者の場合には、本法が適用される可能性が高い」と特定商取引法の適用範囲を明確化した。本件も、個人事業主をねらった悪質な電話機リース契約の一つといえよう。
本件のサプライヤーは、相談者に対して自宅用の契約書面に、事業者名を記入するよう誘導しており、事業者契約とし、クーリング・オフに関する記載がなされた書面を交付していなかった。また、それほど頻繁に電話がかかってくるわけではない個人に、高額で多機能なリース電話機を使うメリットがあるのか疑問である。それにもかかわらず、リース契約を結ばせている点も悪質であるといえよう。そのほかにも「今使っている電話機ではインターネットの利用ができない」という虚偽の事実を挙げて勧誘しており、契約から4年以上経過しているが全額返金という解決は妥当ではないかと考えられる。
一方、今回リース会社は「サプライヤーと交渉してほしい」とリース会社は関係ないという姿勢であった。確かに、悪質な勧誘方法を行ったのはサプライヤーであるが、リース契約は、リース会社も密接不可分な関係であり、契約書面の発行主体であるリース会社の責任は大きいと思われる。
仮に、サプライヤーが交渉に応じない場合は、リース会社と交渉することになると思うが、勧誘したのがサプライヤーだからリース会社は関係がないというわけにはいかないであろう。その点については、今後の検討課題としていきたい。
同じような商品・サービスに関するトラブルであっても、個々の契約等の状況が異なるため、解決内容も違ってきます。

 

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