新宿とは?/ アットローン
[ 519] 新宿 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%AE%BF
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この項目では東京都新宿区に存在する地域について記述しています。その他の新宿については新宿 (曖昧さ回避)をご覧ください。 新宿(しんじゅく)は、東京の新宿駅(東京都新宿区新宿三丁目・西新宿一丁目)を中心とする地域の名称。新宿地区。本項ではこの地域について詳述する。 四谷区(のち新宿区)内の地番表示の町名、新宿一 - 四丁目。古くは上記内藤新宿町内の大字に基づく。上記の住居表示実施に伴い(形式的には)消滅(同名の町名が住居表示実施により誕生し、またその範囲に重複が見られるため、実質的には範囲が変動しただけで存続していると見ることもできる。→新宿#行政区画・町名の変遷の項目を参照)。 新宿(しんじゅく)は、東京の新宿駅を中心とする地区。渋谷、池袋と並ぶ3大副都心の一つであり、日本を代表する繁華街・オフィス街である。 西新宿に東京都庁が移転してきてからは西新宿をさして特に「新都心」とも呼ぶこともある。地理的な範囲は東京都新宿区の南西部にあたる(街並みは隣接する渋谷区にも連なる)。その名称はかつての甲州街道の宿場町・内藤新宿(ないとうしんじゅく)に由来している。 江戸時代、甲州街道は起点である日本橋から最初の宿駅である高井戸まで4里(約16km)という距離であり、起点と宿場までの間が長いため多くの旅人が難儀していた。 そこで1698年、この地に新しい宿駅が設けられた。当時の信州高遠藩主であった内藤氏の中屋敷があったため、内藤新宿と称したことに起因している。この中屋敷跡が現在の新宿御苑であり、御苑のある地名も「内藤町」となっている。 新宿における遊郭や赤線地帯の歴史については新宿二丁目を、戦後形成された歓楽街については歌舞伎町を、高層ビル街の歴史については西新宿の項目も参照 この地と内藤氏とのつながりは、豊臣秀吉により後北条氏が滅ぼされ、徳川家康が江戸に入府する直前の1590年(天正18年)7月にさかのぼる。三河時代より徳川家康の小姓として仕えていた内藤清成は、家康の入府に先立ち後北条氏残党に対する警備のため、鉄砲隊を率いて甲州街道(国府道)と鎌倉街道が交差していた現在の新宿二丁目付近に陣を敷いた。 この功が認められ、清成は付近一帯を拝領し中屋敷(上屋敷は神田小川町、下屋敷は下渋谷にあったという)を構えた。なお、清成が率いていた鉄砲隊は、1602年に伊賀組鉄砲百人組として大久保に配置され、百人町の名のもととなっている。 この拝領に際しては、家康が「馬が一息で駆け巡るだけの範囲を与える」と伝えたため、清成は馬に乗り榎の大木を中心に東は四谷、西は代々木、南は千駄ヶ谷、北は大久保におよぶ範囲を駆け、その馬はついに倒れて、まもなく死んでしまったというエピソードがある。 江戸時代、甲州街道は江戸から甲府までの主要街道として整備されたが、第一の宿場は高井戸であり、距離が長く、旅人は難儀をしたという。そのうち、現在の新宿二丁目近辺に人家ができ、1625年(寛永2年)には住民の願いにより太宗寺門前の町屋ができ、これを内藤宿と呼ぶようになった。「宿」とはいっても、正規の「宿場」ではなく、甲州街道や成木街道(現・青梅街道)を利用する人馬が休憩所として利用していたので、そのように呼び習わすこととなったという。 1698年(元禄11年)、甲州街道における新たな宿場の必要性や、行楽地づくりを念頭に、当時の浅草安倍川町の名主であった喜兵衛ほか同志4人が5600両の上納とともに宿場開設を願い出て、翌年、内藤家の中屋敷の敷地を一部利用して宿場が開設される。宿場開設を申し出た喜兵衛は高松喜六と名乗り、高松家は代々新宿の名主を務めた。 この新宿は、玉川上水の水番所が置かれていた四谷大木戸から西、現在の新宿駅付近までの街道沿いに広がっていた。なお、新宿には青梅街道と甲州街道の分岐点である追分(新宿追分・現在の新宿三丁目交差点付近)があり、現在でも地名などに残っている。 その後内藤新宿は、品川(東海道)、板橋(中山道)、千住(日光街道、奥州街道)と併せて四宿(ししゅく)と呼ばれ、江戸の新たな行楽地としても発展し、岡場所(非公認の売春宿)などが繁盛して、「四谷新宿馬の糞の中であやめ咲くとはしほらしい」(馬の糞は活発な馬の往来、あやめは飯盛女・遊女を意味する)と狂歌に詠われている。これらが災いし、1718年(享保3年)に風紀上の理由から一時廃駅の憂い目にあうも、1772年(明和9年)には復活している。歓楽街としての新宿の原型は、この時代に既にあったといえるだろう。 このころ太宗寺は江戸六地蔵のひとつに数えられ、庶民の信仰を集めていた。また、成覚寺は遊女などの投げ込み寺であった。 江戸時代の岡場所は、明治以降は遊郭となり、戦後の公娼廃止後もいわゆる赤線地帯として1958年の売春防止法施行まで続いた。 また、1887年に日本鉄道品川線新宿駅が宿場のはずれ角筈(つのはず)に作られる。その後、大正期には新宿は西へと広がった東京市街地の交通が集中するようになり、伊勢丹デパートや中村屋のカリー、高野商店の果物(フルーツパーラー)といった名物をはじめ、映画館、カフェー、劇場などが集中し人々で賑わうようになる。特に、現在の新宿三越の裏手は、当時の文化発信地としてにぎわったという。 新宿は東京大空襲によって焼け野原となったが、新宿駅周辺には戦後間もない頃に闇市が建ち並び、繁華街としての復興の道を歩み始めた。空襲で焼け残った伊勢丹は一部を占領軍に接収された。現在では、日本有数の巨大繁華街として全国的にも認知され、東京における観光スポットの顔である。 新宿駅東側の歓楽街については歌舞伎町、新宿駅西側にある高層ビル街などについては西新宿、新宿二丁目の歓楽街については新宿二丁目も参照 一日の利用者数世界一といわれる新宿駅を中心とする繁華街で、周辺駅も合わせた新宿エリアの駅乗降客数は約400万人、繁華街の集客人員は164万人とも言われ[1]昼夜人波が途絶えることはない。デパート販売額や商品販売額でも、日本で初めて1兆円を超えるなど、日本で最も多くの人が利用する繁華街のひとつである。繁華街として一般に新宿と称される範囲は、地名としては概ね新宿区新宿、西新宿、歌舞伎町、である。新宿駅新南口はすでに渋谷区であるが、タカシマヤタイムズスクエアや小田急サザンタワーが渋谷区にあることを意識する人はほとんどいない。 新宿駅の東側は老舗デパートや専門店・飲食店などが密集し、昼夜を問わず人の波が途絶えることはなく、日本有数の繁華街となっている。駅東口近くにあるスタジオアルタや交番は、新宿でも屈指の待ち合わせ場所となっているが、特に夕方の終業時間になると著しく混雑する。近くには公開中の映画看板が随時掲示されているほか、三丁目の方には新宿末廣亭という寄席もある。 なお、新宿の繁華街の東端には、新宿御苑があり、四季折々の草花を楽しむことができる庭園として親しまれている。 新宿駅の西側は、1950年代までは西口には十二社池(じゅうにそういけ)といった大きな池もあり、戦前までは東京近郊の行楽地であった。そうしたことも関連し、1960年代までは東側に比べ寂れていた。しかし、このころ千代田区周辺の東京都心部に機能が集中していることが課題となり、新宿西口が副都心として位置づけられた。 1965年には西口にあった淀橋浄水場が東村山市に移転し、その跡地に1971年の京王プラザホテルを皮切りに超高層ビルが次々と建設され、新宿副都心と呼称されるようになった。また東京都庁が1991年に有楽町からこの地に移転し、都心部に次ぐ商業集積地となった(この都庁移転以降、新都心と呼称されることもある)。高層ビル近辺では新宿中央公園も有名である。 駅に隣接する大型カメラ店や私鉄デパートなどの存在も欠かすこともできない。西口の小田急デパート付近には、易者や詩人など個人で活動する人も多い。界隈は常に人波が絶えないことが彼らの活動場所として好まれている。 なお、西口のやや北寄りには、太平洋戦争後すぐに形成された闇市を起源とする思い出横丁が存在する。ここには「赤ちょうちん」と呼ばれる小規模な居酒屋が密集し、変化の著しい新宿の町並みのなかでも戦災復興や昭和の時代の臭いを残している。そのすぐ北にはJR線の高架橋、通称・大ガードがあり、下を走る青梅街道、靖国通りと交差する大ガード交差点となり、夜間はタクシーによって渋滞を招いている。 新宿駅の北側、歌舞伎町方面は飲食店やホテルが軒を連ねて巨大な歓楽街を形成している。いわゆる新宿ゴールデン街も歌舞伎町の中にある。西武新宿駅が至近である。一方、線路の西側は、中古レコード店やライブハウスなどがあるが、他の地域に比べればあまり人の往来は多くない。 新宿駅の南側は、細い路地に小商店などがひしめく地味な地域であったが平成10年前後の再開発により、超高層ビルや大型デパートなどが次々と建設された。新宿タカシマヤから駅構内に直結するペデストリアンデッキ(歩道橋)が整備され、新たな人の流れを生み出している。平成19年現在甲州街道の陸橋の架け替え工事中である。 アルタと同様目印となる巨大ビジョン(FLAGSビジョン)がある駅南口、東南口なども、待ち合わせの人などで大変混雑する。夕方から夜にかけてはアマチュア音楽家による演奏も行われ、人を集めている。吉本興業の芸人らが出演する劇場「ルミネtheよしもと」がある。なお、タカシマヤを含む甲州街道の南側は、一部を除き渋谷区に属する。 なお、京王デパートと小田急デパートの間には「モザイク通り」という小道があり、様々な店舗が軒を連ねている。西口から南口側へ抜けるにはここを通ると便利である。 町並みは渋谷区代々木、千駄ヶ谷辺りにも連なっている。また、近隣の中野坂上、初台などの開発も新宿の発展と連動しているといえるだろう。 新築のビルの横に風俗店やパチンコ店が密集し、雑多な景観は新宿の特徴でもあるが、治安悪化の温床でもあった。近年では、繁華街の商店主や警察らによって治安の向上が図られている。 また、特に歓楽街の北には、コリアンや中国人を主とする外国人が多く居住しており、独特の町並みを形成しているが、不法入国者も多いとされている。また、公園や地下道の一部など、ホームレスが集まっている区域もある。 勇者王ガオガイガーFINAL 正確にはレプリ地球の新宿。本物と寸分違わない、複製された新宿が登場。ジェネシック・ガオガイガーとパルパレーパ・プラジュナーの決戦の舞台になる。 コードギアス 反逆のルルーシュ 第1話および第2話にて、シンジュクゲットーの名称で登場。しかしほぼ廃墟のようなの状態になっている。 機動武闘伝Gガンダム ネオ新宿の名称で登場。ほとんど廃墟同然に荒廃している。地球に降下したデビルガンダムが潜んでおり、ゾンビ兵士を生み出すプラントもここにあった。デスアーミー軍団を東方不敗が生身で蹴散らしたシーンはあまりにも有名。 ゴジラvsキングギドラ(1991年) メカキングギドラとゴジラが激戦を繰り広げる。当時完成間もない東京都庁舎も、この激戦の最中派手に破壊されてしまっている。 新宿地区164万人・渋谷地区130万人・難波心斎橋地区122万人・名古屋錦栄地区120万人・大阪駅周辺地区119万人・横浜関内伊勢佐木町地区112万人・池袋地区100万人・名古屋駅周辺地区93万人・有楽町銀座地区86万人・神田神保町御茶ノ水地区77万人・札幌大通り・すすきの地区77万人・福岡中洲天神地区71万人・横浜駅周辺地区70万人・三宮駅周辺地区63万人・京都四条河原町地区58万人・六本木赤坂地区56万人・上野浅草地区50万人・天王寺阿倍野地区37万人・紙屋町八丁堀地区33万人・博多駅周辺地区28万人・仙台一番町周辺地区22万人・京橋地区19万人・町田駅周辺地区19万人・名古屋大須地区17万人 市谷加賀町|市谷甲良町|市谷砂土原町|市谷左内町|市谷台町|市谷鷹匠町|市谷田町|市谷長延寺町|市谷仲之町|市谷八幡町|市谷船河原町|市谷本村町|市谷薬王寺町|市谷柳町|片町|住吉町|富久町|本塩町 この「新宿」は、日本の地理に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています(P:日本の地理/P:日本の都道府県)。 |
[ 520] 新宿駅 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%AE%BF%E9%A7%85
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この項目では東日本旅客鉄道(JR東日本)・小田急電鉄・京王電鉄・東京都交通局(都営地下鉄)・東京地下鉄(東京メトロ)の新宿駅について記述しています。西武鉄道の駅については西武新宿駅をご覧ください。 議論はノート:新宿駅を参照してください。なお、分割作業を行う際には履歴不継承にならないように注意してください。 線路名称上は、当駅を通るJRの路線は山手線、中央本線である。詳細は各路線の記事および鉄道路線の名称等を参照されたい。なお、所属線は山手線である。 東京の新都心に位置するターミナル駅で、JR山手線・中央線を中心に各私鉄・地下鉄の路線が乗り入れている。 JRの駅を中心として、西口・東口・南口の各方面に分かれる。西口と東口は通路などで連絡している。また、地下道は広範囲に連絡している。 かつては、新南口は1 - 6番線のホームからのみ利用できたが、2006年4月16日に跨線橋が延伸されるとともに仮駅舎としてサザンテラス口が開設され、すべてのホームから直接アクセスできるようになった。 1 - 6番線はほかのホームに比べると南に位置している。特に5・6番線のホームの一番北側は7・8番線の一番南側と南北でほぼ同じ位置にあり、ホームのほぼ全域が甲州街道より南側の渋谷区に属する。さらにすぐ南隣の代々木駅との距離は5・6番線だと約200mほど(これは同ホームの長さより短い)で、発車メロディが聞こえる程である(同駅東側に引き上げ線がある)。 当駅を東西に跨いでいる跨線橋(新宿跨線橋)の老朽化が進んでいることや、慢性的な交通渋滞の解消を目的として、跨線橋の架け替え工事が行われている。その際に新設する橋脚・架設構台の設置スペースや、人工地盤の柱設置スペースを確保するため、配線変更をする必要がある。 配線変更をするにあたり、構内に分散していた保守基地や中線・渡り線を集約化して新5・6番線を設置するスペースの捻出や、構内に多数存在するダブル・スリップ・スイッチ、シングル・スリップ・スイッチなど特殊分岐器の廃止を図る必要がある。そのうち、中央線快速に関連する特殊分岐器は2007年4月15日の工事で廃止された。また1 - 4番線の池袋寄り線路についても配線変更する計画があり、中央線特急ホーム移設までに実施される予定であったが、工事スケジュールの都合から後回しになっている。 5・6番線からの中央線下り特急の線路が7・8番線に発着する上り快速列車の線路と平面交差しており、これがダイヤ上のネックになっていたが、2007年11月25日より特急ホームが9・10番線に移転し上下快速線ホームに挟まれる形となり、問題が解消された。 改良工事完成後は、新南口とサザンテラス口を覆うようにタクシーと高速バスの乗り場を併設した駅ビルと人工緑地が整備される(「鉄道のデザイン展」で完成予想模型を公開)。また、南口前の工事現場の囲いには東京の世相と新宿の歴史を記載したボードが展示されていたが、現在はQ&Aのボードや新宿の人々を写した写真パネルに交換されている。 2007年5月より、各改札前などに東京近郊の系統路線における運行状況マップを掲載したプラズマディスプレイが設置された。 各線とも北向きの列車が下り、南向きの列車が上りである(一部異なるホームから発着するものもある)。路線では内回りや南行などの言い回しをするものもあるが、線路名称としては上り・下りの方向が揃っている。 7・8番線(中央線快速上り)ホームは、平日朝ラッシュ時(7時 - 9時台)は7番線と8番線で交互に快速東京行きが発着し、当駅での大量の乗降客による各列車の長時間停車に対応している。なお、当ホームを発着する東京行きの列車に対しては、到着列車が中央・青梅・通勤特快のどれであってもすべて「快速 東京」行きと音声、電光表示案内している。 9・10番線の特急ホームにある駅名標には、上り方面は矢印にはなっているが、隣の駅名が表記されていない。下りの隣の駅としては、特急「かいじ」の次の停車駅である三鷹が表記されている。 7番線側と11番線(旧9番線)側の方面案内サインは以前背景が青色(中電色)だったが、湘南新宿ライン登場に伴う更新で快速と同じオレンジ色のものに変更された。以前は、9・10番線の特急ホームと同様に下りの隣の駅が三鷹と表記されていた。三鷹は、特急および(現在は臨時のみ運転の)中距離列車(中電)の駅としては下り側の隣の駅である。 11・12番線(中央線快速下り)ホームはほかのホームに比べて幅が狭い。そのため、ダイヤが乱れた際や金曜日など休日前の夜の帰宅ラッシュ時間帯は列車を待つ旅客でホーム上が混雑し、12番線に到着した列車からも大量の旅客が降車するため、大変危険な状況に陥ることがある。また、平日深夜の当駅始発の中央特快(23:29発・0:11発)は11番線から発車し、中野駅は通過となるので注意が必要である(同じ当駅始発であるホリデー快速「おくたま」「あきがわ」は同駅に停車する)。なお、2008年3月15日のダイヤ改正から、それまでの平日朝に加え、平日夕方の東京始発の一部列車も11番線に入線している(8時- 9時台後半までと18時- 19時台半ばまで、11番線と12番線で交互発着)。 13・14番線と15・16番線はそれぞれ方向別配線で、同一方向の列車の乗り換えが便利になっているが、接続がとられていない場合もある。 早朝と深夜には、13・16番線の中央・総武線各駅停車のホームに中央線快速で使われるオレンジ色のE233系や201系による東京発着の各駅停車が発着する(その他の時間帯は黄色の帯のE231系または209系が使用される)。この時間帯は、総武線(秋葉原・西船橋・千葉)方面へは御茶ノ水駅で乗り換えが必要である。 5・6番線には北側にエスカレータが設置されている。また、7・8番線にも南口跨線橋の下にエスカレータやエレベーターが設置されているので、5・6番線への連絡がスムーズになっている。 7 - 16番線の北端を東西に連絡する地下通路である。東端は東口でルミネエスト新宿の地下1番街に出る。西端は西口で小田急百貨店新宿店の階下であり、西口地下広場に出てバスターミナルに連絡している。共に地下改札であるが、地上にもみどりの窓口がある。東口手前から後述の中央通路に通じる地下通路があり、「アルプス広場」と呼んでいる。そのアルプス広場には7・8番線用の上下のエスカレータやトイレのほか、BECK'S COFFEE SHOPがある。 2016年度を予定として、東口・西口改札を撤去、東西を行き来できる自由通路[1]に転換、通路の途中に新改札を設置する計画が発表された。 1 - 6番線の北側と7 - 16番線の中央を東西に(やや東が北寄りになる)連絡する地下通路である。東端は中央東口でルミネエスト新宿の地下1番街の南端に出る。改札内で東口とつながっており、自動券売機も北通路と共通である。なお、5・6番線ホームはここから大きく離れているため、地下通路が設置されている。 中央東口改札口は小田急線と京王線の改札口(出札・集札)を兼ねており、小田急と京王にとって唯一のJRの駅東側の改札口で、JR東日本に改札業務を委託している。中央東口改札に隣接して、JR東日本のほかに小田急線と京王線の運賃表と自動券売機がある。そのため、JRの東口改札口は小田急と京王の乗車券では通れないが、中央東口改札口は小田急と京王の乗車券で通れ、JR改札内である中央通路を経由して連絡改札口を通ることで、小田急や京王の改札内へ入れる。なお、中央通路からSuica・PASMOで小田急線や京王線を利用する場合は中央東口改札口から入場しなければならない(その逆も同様)。 西端の中央西口改札口は5つある。地下道から見て左端および右から2番目が小田急線連絡口、右端が出口専用改札(中央通路から西口へ出るためにある。改札内で中央通路から西口に行くにはホームかアルプス広場を経由する必要がある)である。出口専用改札を出ると小田急百貨店新宿店の地下から西口地下広場に出る。2つの小田急線連絡口の間には京王線連絡口へと通じる通路が続いている。その通路を歩くと右が京王線連絡口、左が出入口兼用のJR中央西口(通称京王口)改札口であり、出ると京王百貨店の地下入口から小田急エース南コーナー、京王モール、新宿西口高速バスターミナル方面に連絡する。 トイレはJR中央東口の外に向かって右側と前述の北通路に通じるアルプス広場にある。車椅子やオストメイトなどの利用に対応した多機能トイレも設置されているが、普段は施錠されており、利用時はドア横のインターホンから駅員に連絡する。 エスカレータは7 - 16番線の各ホームと中央通路を結び、エレベーターは7・8番線と中央通路を結んでいる。なお、現在工事中の9・10番線のホームには、7・8番線ホームと同じ位置にエレベーターを設置するスペースが確保されている。 1・2番線の中央、3・4番線の北側、7 - 16番線の南側を東西に連絡する跨線橋である。階上には新宿ルミネ2がある。南に出ると南口改札で甲州街道の跨線橋に直結する。西端には小田急線連絡口がある。また3・4番線と7・8番線の間に新宿ルミネ2直結のルミネ口改札が、東端に東南口がある。東南口改札の営業時間は6時 - 24時である。跨線橋には構内にドトールがある。改札を出て右に向かうと小田急線改札、小田急百貨店新宿店、ミロード新宿店がある。 トイレはルミネ口の近くにある。車いすやオストメイトなどの利用に対応した多機能トイレも設置されているが、普段は施錠されており、利用時はドア横のインターホンから駅員に連絡する。 すべてのホームからエスカレータやエレベーター(5・6番線を除く。7・8番線へのものはさらに5・6番線への地下通路とも直結)が直結している。ただし、13 - 16番線へのエスカレータはホームから上り方向までのみだが(10号車が近い)、エレベーターが設置されているので、車いすなどの移動に支障はない。 13 - 16番線は、2006年4月16日から新南口跨線橋の延伸に伴い新南口とサザンテラス口とのアクセスが可能になりホームが南側に延伸されたため、従来ホーム南端にあった階段の幅が狭くなっている。 1 - 6番線の中央と7 - 16番線の南端を連絡する跨線橋で、東端に新南口改札、西端にサザンテラス口改札がある。この跨線橋は甲州街道南側の渋谷区にある。サザンテラス口は甲州街道を挟んで南口の真向かいにあり、営業時間は6時 - 24時。新南口はJR高速バスターミナルや新宿4丁目バス停、タカシマヤタイムズスクエアが近い。新南口とサザンテラス口は、前述の通り駅ビルが完成すると、この2つの改札口は統合される予定である。 トイレは、改札内は南口跨線橋または中央通路まで行かなければならないが、改札外は新南口切符売り場の脇にある。 エスカレータは各ホームから上下方向のものがある。ただし、ホームによってはホームと跨線橋を結ぶのに階段がなく、エスカレータのみとなる。 従来、7 - 16番線ホームへは直結されておらず、これらのホームへ行く際は1 - 6番線を経由する必要があったが、2006年4月16日の「サザンテラス口」新設に際して跨線橋が延伸され、同日より7 - 16番ホームとの直接アクセスが可能になった。7 - 16番線からは列車の停車位置(列車の最端)から南側にホームを延伸した先にエスカレータがあるため、ホーム上をやや歩かなければならない。列車の停車しない延伸箇所には柵が設置されている。 JR東日本では、音響機器・楽器メーカーとして知られるヤマハに新しい発車メロディ放送システムの開発を依頼し、1989年3月11日に当駅と渋谷駅にJR東日本で初となる発車メロディを試験的に導入した。この目的は、従来より不評であった電子ベルによるイライラ感を解消するためであった。ヤマハが制作した曲には、ピアノやハープ、マリンバなどの音色の後ろに鈴、川のせせらぎ、鳥のさえすりといった人の心を落ち着かせる音が入っている、長さ数秒程度のシンプルで素朴なものだった。 この取り組みは乗客に好評だったため、ほかの駅にも発車メロディが導入される運びとなったが、コスト面の問題(音源、スピーカー、アンプをセットで納入していた)から、ヤマハが制作した発車メロディは導入されなかった。 長年、当駅のオリジナル曲として使用されていたが、放送機器の老朽化(この場合、自動放送装置ではなくアンプなどの発車メロディ用の機械と思われる)により、1997年11月29日の3・4番線を皮切りに順次テイチクの曲への変更が行われ、2001年12月16日の1・2番線の変更を以て全ホームの発車メロディの変更が終了した。なお、渋谷駅の発車メロディも同年1月にテイチク製のメロディに置き換えられている。 7・9番線の路線カラーは中央本線を表している(1993年までは7・9番線から甲府・松本方面への普通列車が発着していたので、その名残りである)。路線カラーはメロディ変更後にオレンジ色に変更された。 JRの新宿駅の西隣に位置し、階上には小田急百貨店新宿店とミロード新宿店がある。小田原線の起点であり、小田急電鉄の東京側ターミナル駅である。管区長・駅長所在駅であり、新宿管区として新宿 - 東北沢間、新宿管内として新宿 - 南新宿間を管理している。 3・4番ホームは、後述の通り特急ロマンスカーと急行・準急などで用いられるが、到着時などの自動アナウンスは、特急ロマンスカーは3番ホーム側、急行・準急などは4番ホーム側のみ放送される。しかし、主に特急列車の発車時に4番ホーム側を歩く人に対して危険防止の観点から「特急列車が発車いたします」という駅員アナウンスをする。 基本的に地下ホームは6・8両編成(各駅停車・区間準急)が、地上ホームはロマンスカーと6・10両編成(6両は早朝の急行、10両は快速急行・急行・準急)が始発として運転する。当駅に到着する際はすべての列車が両数に関係なく最奥(最も西口地上/地下改札に近いところ)の一定の場所に停車・到着する。 乗車と降車で別のホームを用いるが、朝のラッシュ時間帯は乗車ホーム側にも乗客を降車させる。特急ロマンスカーは乗客を降車させた後に車内の清掃と点検を行い、同じホームから乗車させる。回送運転で到着した場合には到着後すぐに乗車できる。 地上ホームの隣の駅は代々木上原となっている。ここから出発する列車は特急ロマンスカー・快速急行・急行・準急であり、特急ロマンスカーを除いては同駅まで停車しないからである。また、地下ホームの隣の駅は各駅停車の南新宿と区間準急の代々木上原が併記されている。 ホームののりば案内では、のりばの番号と種別(または降車専用)が表記されており、具体的な駅名は記載されていない。 地上線と地下線の分岐点(合流点)は隣の南新宿駅すぐ近くにあり、そこまでが新宿駅の構内となる。すなわち4線が併走する部分を長く取ることによって、終日間断なく発着する列車を捌いている。 各階の頭端部に西口地上改札口と西口地下改札口がある。西口地下改札口の東にはJRへの中央地下連絡口と中央東口への中間改札口(自動改札機の色が黄色)があり、JR改札内である中央通路を経て中央東口から出入りできる。地上ホームから西口地下改札口および中央地下連絡口へは、ホームに西口地上改札口寄りにある階段(10両編成の8・9号車付近)を下りると近く、それ以外で10両編成の場合は10号車が最も近い車両となる。 ホームの南寄りに跨線橋があり、地上ホームからつながっている。ここを南に出ると南口で、JR南口に隣接している。その東側にJRへの南口連絡口がある。 トイレは西口地下改札内外と南口改札内(共に出口改札に向かって左側、改札内)にある。車椅子などでの利用に対応した多目的トイレは西口地下改札外と南口改札内に設置され、どちらもオストメイトに対応しており、南口側にはオストメイト用の給湯設備を備えている。西口地下改札外のトイレには一般用の洋式便器の設置がない。 改札外のエレベーターは、改札を出た右側に、小田急百貨店のものがある。これは、西口地上改札口が2006年にリニューアルしたのに伴い、同改札口に隣接する小田急百貨店のエレベーターが1階にも停止するようになり、同時に西口地下改札口のある地下1階からは初電から終電まで利用できるようになったものである。また、西口地上改札口付近と西口地下改札口外側のトイレ付近を結ぶ業務用のエレベーターが設置されているが、駅係員の付き添いがないと利用できない。 4・5番ホームの後(西口地上改札口寄り)から4・5両目の間(10両編成の6・7号車の間)には分割案内板Aがあり、分割駅と分割後の列車の種別・行先を表示できるようになっている。以前は分割案内板Aから2両程小田原寄り(6両編成が停車する最も小田原寄りの端)に同様の表示ができる分割案内板Bが存在していた。 地上ホームの現在の乗車位置目標は、先発が赤い丸印、次発が青い三角印(発車案内表示器では緑色で表示)で案内されているが、以前は足下に埋め込まれたランプを使って案内していた(先発は点滅、次発は連続点灯)。乗車位置案内がランプの頃は、6両編成などの場合は列車が止まる位置しかランプが点滅・連続点灯しなかったが、現在はシールが貼付されているため区別されていない。また、6両編成の場合の小田原寄りの端の案内は存在しない。 地下ホームには、4・6・8両編成(現在回送以外の列車がすべてこれに当てはまる)の小田原寄りの端という案内をするランプが天井から吊されている。 小田急電鉄の西隣、京王百貨店新宿店の地下2階相当および新宿ルミネ1の地下3階相当に3面3線の頭端式ホームがある。南北に線路が延びており、駅先端部で西へ折れている。 1963年に完成した当初は頭端式ホーム5面4線の構造であったが、後のホーム延伸などにより一部のホームと線路の閉鎖を行い現在の形となっている(現在でもホーム下の一部にその名残りがある)。このため、線路は構内でS字カーブを描いているので、それに合わせてホームが狭くなっている。 東から1 - 3番線で、1番線を除き両側にホームがある。3面のホームのうち中央のホームは降車専用である。3番線乗車ホームの北寄りに車椅子などでの利用に対応したトイレがある。 ここから発車するすべての列車が初台駅と幡ヶ谷駅を通過する(新宿 - 笹塚の複々線化。都営新宿線直通以前から初台は地下駅であり、現在も地下ホームの遺構(京王線の新宿駅付近の廃駅)が残っている(資材置き場として使用)。当駅を発車した列車はここを通過する際に減速する。幡ヶ谷は当初地上ホームであり、現在この付近の線路跡は甲州街道南側の緑地となっている)。この2駅へは、のりばが異なる場所にある京王新線(後述)を利用する。また、京王線のつつじヶ丘行と桜上水行の各最終列車は新線から発車し、終電間際の時間帯には、駅員が「終電は新線です!」と叫ぶ姿もよく見られる。京王の初電から数本(高尾山口行)も新線新宿駅から発車する。 実際は3番線からの橋本行や1番線からの高尾山口行など案内掲示板には明記されていないなど一部異なるのりばから発車する列車もある。また、種別に関しては日中以降のものである。 2線同時に進路が開通している(第1出発信号機が注意または警戒を現示する)状態が頻繁に見られるが、これは第2出発信号機が駅から離れた両渡り分岐の手前にあり、そこまでは進むことができるという意味である。実際のダイヤ設定では行われないが、理論上は1番線または2番線からと3番線からとの同時出発が可能である。 京王線の改札口はすべて地下にある。頭端部から階段を上ると西口地下広場への出口専用の広場口改札である。また別の階段から朝ラッシュ時専用の出口専用臨時口改札がある(階段の手前のシャッターの開閉により、7:10 - 9:00のみ利用可)。この頭端部から降車専用を含む1 - 3番線各ホーム相互で段差のない移動が可能である。 中央の階段を上がると南北に分かれ、北が京王西口(桃色)、南が京王百貨店口(紺色)であり、両者を区別するために京王のコーポレートカラーの2色で塗り分けられている。京王百貨店口はJR中央西口改札口に隣接し、東隣にJR連絡口と中央東口への中間改札口(自動改札機の色が黄色)があり、JR連絡通路を続くとJRの中央通路に出る。 南寄りの階段を上がるとルミネ口改札口で、新宿ルミネ1の地下2階に出る。JRのルミネ口(新宿ルミネ2)とは別の建物で、1階以外ではつながっていない。階段を上がると建物から出ずにJRと小田急の南口に行ける。なお、ルミネ口とホームを結ぶ階段とエスカレータは乗車ホームのみにある。なお、ルミネ口の発車標はリニューアル工事の時に使われていた液晶型のものが引き続き使われている。 3番線南端より連絡通路を通ると新線新宿駅に抜ける。この連絡通路には階段があり、下って上る形になっている。 トイレは3番線の乗車ホーム北寄りにあり、「だれでもトイレ」を併設している。男性用と女性用・だれでもトイレの入口は離れた位置に設置されている。 エレベーターは京王西口・京王百貨店口階と3番線の乗車ホームを結ぶ。ほかのホームからは頭端部を経由して3番線の乗車ホームへ移動して利用する。 エスカレータは各乗車ホームと北側が京王西口・京王百貨店口階、南側がルミネ口を結ぶ。北側は各ホーム片方向1本ずつで2ホーム両方向合計4本(ただし朝ラッシュ時には改札階→3番線乗車ホームを運転せず3番線乗車ホーム→改札階方向で2本運転)、南側は各ホーム1本ずつで時間帯により向きが変わる片方向運転となる。 以前は、ドアの数や両数により乗車位置を黄色の8番や緑の7番などと案内していたが、当駅発着のほとんどの列車が4つドアとなった頃の駅リニューアルで先発などのものに置き換えられた。現在、降車専用ホームには4つドアのドア位置を除き柵が設置されている。 改札階の発車標は1 - 3番線の列車が先発から5番目までの発車時刻・種別・行先・のりば・備考が表示されている。以前は1・2番線用と3番線用で別の案内となっており、それぞれの先発から3台の種別・行先などが表示され、その下にそれぞれの先発列車の停車駅が表示されていた。橋本行きの特急があった頃のその運転時間帯には、停車駅の下に「特急橋本ゆきは2番線から発車します」という案内が表示されていた。 降車専用ホームにある列車接近装置には、ほかの駅ではあまり見られない「電車にご注意ください」という表示がある。 JRの新宿駅南口の西側、甲州街道の地下5階にある。京王新線と都営新宿線は相互直通運転を行っているため、駅構内・ホームを共有している。当駅は京王電鉄が管理しているため、コンコースの方面案内板や駅名標、掲示物は同社のフォーマットになっている(ただし、改札内に東京都交通局系の売店が、改札外に東京都交通局の定期券うりばがある)。 東西に伸びる1面2線の島式ホームを持ち、京王線新宿駅とは改札内でつながっているため、番線が京王と都営で通し番号になっているが、この2路線と京王線はそれぞれ離れているため、新線新宿駅と案内されている。なお、都営の駅と東京メトロの駅とは接続していない(後述)。 先述の通り、京王の終電2本(つつじヶ丘行・桜上水行)と初電からの数本(高尾山口行)はここから発車するので注意が必要である。 東寄りの階段またはエスカレータを乗り継ぐと地下1階で、ここに京王新線口改札口があり、京王モールの南の地下広場に出る。改札手前の北寄りに京王線の3番線乗車ホームに抜ける通路とトイレがある。また地下4階から大江戸線ホームに抜ける連絡通路がある。そしてホームから西寄りの階段を上がると地下1階に新都心口改札口がある。 トイレは京王新線口北寄りの京王線3番線乗車ホームへの通路の脇にあるが、車椅子などでの利用には対応していない。改札外の京王新線口と新都心口をつなぐ連絡通路(フレンテ新宿)には車椅子などでの利用に対応したトイレが設置され、併設された多機能トイレに温水洗浄便座が設置されている。 エレベーターは改札内と改札外を直結するものとホーム・大江戸線連絡通路(後述)・京王新線口を改札内で結ぶものの2基がある。このうち前者は係員の付き添いがないと利用できない。エスカレータは新都心口途中地下4階→ホーム(地下5階)がないほかは改札とホームの間のみを移動する。 京王新線と都営新宿線の駅からさらに南側にある、都道の地下7階に1面2線のホームがある地下駅。ホームは南北に伸びている。のりばの番号は京王線・京王新線・都営新宿線の駅からの連番となる。 ホームの北側から階段やエスカレータで上がると地下1階に改札Bがあり、京王新線口と相対する。そこから南寄りにもエスカレータがあり、地下4階から都営新宿線と京王新線のホームへ連絡している。 ホーム中央から上がると地下3階に改札Cがあり、新宿マインズタワーなどへの出口となる。さらに地下2階に改札Aがあり、京王新線口の南隣である。なお、改札外と大江戸線ホームの間の移動は「大江戸線のりば」と書かれた改札Bを経由するより、それと相対する「京王新線のりば」を通り改札内地下4階にある「大江戸線連絡通路」を使った方が近い。この連絡通路には中間改札が設置可能な構造になっていて、自動精算機などを置くスペースも用意されているが、都営線同士の乗り換えを考慮して未設置である(このスペースには、1998年末にICカードシステムの実証実験を行った際にICカードの積み増し機を設置した)。改札内で行き来ができるので、大江戸線の改札口から入って京王線に乗ることもできる。そのため、乗降時のパスネットの乗車駅表示は「都 新宿12」(都営地下鉄の初乗り運賃ではなく京王の初乗り運賃が引かれる)、降車駅表示は「TO宿」となっている。 JRの新宿駅の北側付近から新宿通りに掛けての地下2階に、東西に伸びる1面2線の島式ホームがある地下駅。西新宿方に引き上げ線があり、当駅始発・終着で池袋方面の列車が運行されている。 JR・小田急・京王の駅と[新宿西口駅(都営地下鉄大江戸線)・西武新宿駅(西武新宿線)と接続しているが、都営新宿線の新宿駅とは接続していない。 1番線の接近放送の最後に「中野富士見町、方南町方面は、中野坂上でお乗り換えです。」という放送が流れる。西新宿駅開業以前までは「中野富士見町、方南町方面は、次の中野坂上でお乗り換えです。」であったが、同駅開業後に一旦省略し、発車標更新時に現在の放送様式となった。 都営地下鉄大江戸線の新宿西口駅が開業した後は、「新宿西口接続都営大江戸線はお乗り換えです」という案内放送を行っている。 2006年10月にホームドアを設置するとともに発車ブザーを線路側に移設した。ワンマン運転開始までは混雑時に発車ブザーを鳴らしている。 ホームの東西の端に地下1階への階段があり、それぞれに改札口がある。改札を出ると自由通路(メトロプロムナード)となっていて、東は新宿三丁目駅までつながっている。東側の改札口はJR東口と新宿サブナードが近く、西側の改札口はJR・小田急・京王線の西口、西口地下広場とバスターミナルに連絡している。東側の改札付近と西側の改札付近の間は早朝・深夜は通り抜けることができない。 エレベーターとエスカレータは東側にあり、改札階とホーム階を結ぶが、エスカレータは改札階方向だけである。 当駅において小田急、京王、都営地下鉄、東京地下鉄の相互間で乗り継ぎ割引が適用される場合があるが、連絡する事業者によって割引の有無が異なるので注意が必要である。 東京地下鉄丸ノ内線新宿駅と都営地下鉄新宿線・大江戸線新宿駅は両駅間の距離が遠く接続していないため、乗り継ぎ割引は適用されないが、丸ノ内線と新宿線の乗り換えは新宿三丁目駅で、丸ノ内線と大江戸線の乗り換えは都営新宿西口駅でそれぞれ行えば乗り継ぎ割引(70円)が適用される。PASMO・Suicaで乗り換える場合、30分を過ぎると新たに乗り換え先の駅からの運賃が減額されてしまうので、注意が必要である。 周辺はビジネス・ショッピング街など、様々なものが集中し、東京駅周辺などと比べれば華やいだ雰囲気を持つ。乗り入れる路線も東京都多摩地域、神奈川県北西部、埼玉県南部といったベッドタウンとを結んでいるため、終日利用者は絶えない。 甲州街道(国道20号)の跨線橋の架け替え工事終了後には新宿南口センタービル(仮称)と現東口のルミネエスト新宿ビルの建て替えのための200m級の超高層ビル建設の2棟の建設計画がある。 出口や改札口の名称に関わりなく俗に「西口」と呼ばれることが多い。丸ノ内線の駅の地上出入口はJR・小田急・京王の各線の駅の各西口・中央西口改札口の改札外コンコースとつながっているので、事実上それらの駅の地上側出入口でもある(後述を参照のこと)。また、西口の駅前バスターミナルの近くではよく政党・政治団体などによる街頭演説が行われている。 出口や改札口の名称に関わりなく俗に「東口」と呼ばれることが多い。新宿サブナード(地下街)を経由していくと西武新宿駅に出られる。 甲州街道新宿陸橋上の小田急とJR東日本の出口で、東西に出られる。都営地下鉄大江戸線出口は、南西側のマインズタワー前にある。 こちらもJR東日本専用の改札口および出口で、甲州街道新宿陸橋を挟んで南側、JR線の西側(つまり南西側)にある。都営地下鉄大江戸線のA1出口は南西側のマインズタワー前にある。新宿サザンテラスは新宿陸橋から南へ約200m付近でJR線を東西に跨ぎ、東側のタカシマヤタイムズスクエアとつながる。 丸ノ内線の駅の地上出入口はJR線の北側にある。東西にそれぞれ丸ノ内線の改札口があり、東側の各出口(新宿通り)と西側の各出口(西口広場)に大別できる。東西の各出口間は地下通路「メトロプロムナード」で改札外がつながる。各出入口はJR・小田急・京王の各線の西口と中央東口改札口およびJRの中央西口(出口)と東口改札口の改札外とつながっているため、事実上JR・小田急・京王の各線の駅の地上出入口としても使用できる。 新宿三丁目駅と地下道(メトロプロムナード)でつながっているので、同駅と出口番号が連続している。紀伊國屋書店方面(B9・B8・B7・B6など)は新宿三丁目駅を参照のこと。新宿三丁目駅A1出口と都営地下鉄新宿駅のA1出口と混同しないよう注意が必要である。 また、都営地下鉄大江戸線の新宿西口駅とも改札外でつながっているが、西側の改札口が近く、同駅に属する各地上出入口も共通で利用できる。さらに西武新宿駅と地下街「新宿サブナード」を介してつながってはいるものの、A9、B13出口などから地上に出た方が早い場合がある。 地下駅である京王新線と都営地下鉄の地上出入口は、甲州街道のJR線より西側、JRと小田急の駅の南西側にある(ただしA1出口は甲州街道西新宿1丁目交差点より約200m南のマインズタワー地下にある)。京王線 - 京王新線・都営新宿線 - 都営大江戸線は改札内移動が可能である。 京王新線と都営地下鉄の2 - 8出口は、小田急・JRの南口改札外と「ルミネ1」を介してつながっている。また、大江戸線C改札口を除く改札外フロアは「京王モール」を介してJR・小田急・京王の各線の西口・中央地下西口、新宿高速バスターミナルとつながっている。 当駅周辺には多くの路線バスや高速バスが発着する。ただし、新宿は各方面に成熟した鉄道網が形成されているため、一般路線バスについては系統数・利用者数共都内の主要駅の中で必ずしも上位にある訳ではない。また、高速バスは主として西方面(中央自動車道)へ伸びる東京有数のターミナルとなっているが、乗降場所がいくつかに分散されている。 一般路線バスのターミナルは西口に集中している。駅の東側へ運行する路線であっても西口を起点としており、東口側には「新宿駅東口」や「歌舞伎町」などの停留所を設けて停車する。このほか、新南口から200m程離れた明治通り上に「新宿四丁目」停留所があり、池袋方面と渋谷駅を結ぶ池86系統が停車する。 東京で最初に走ったバス路線は、1913年に開通した京王の新宿 - 笹塚間である。当駅周辺を最初に走ったバスもこれということになるが、この路線は京王線の鉄道未通区間を暫定的に連絡する目的のものであったため、1915年に当該区間の鉄道が開通すると入れ替わりに廃止となっている。 バスが本格的に普及し始めるのは関東大震災前後から昭和の始め頃にかけてであり、当駅周辺ではこの頃に東京乗合自動車(通称青バス、後に市営に統合)が青梅街道・新宿通り方面へ、東京市が新宿通り方面へ、万歳自動車(甲州街道乗合自動車に改称された後に京王電気軌道が買収)が甲州街道方面へ、関東乗合自動車が小滝橋通り方面へとそれぞれバスを走らせている。 戦後はこれらをベースとする都営・京王・関東バスのほか、相互乗り入れの形で小田急・西武バスが当駅への乗り入れを開始した。また一時は東急も同様に3路線を乗り入れていたが、昭和50年代半ばまでに撤退している。 東京都交通局の都営バス(以下、都バス)の路線は、上記の通り旧東京市営バスに青バス路線と京王電気軌道の山手線以内の路線(牛込方面)を承継したのが基礎となっているが、戦後になって郊外に向けて大幅に路線延長を行った。 現在の都バスの行先は様々であり、短距離のものでは都庁循環、早稲田、東京女子医大、三宅坂、長距離では王子駅、駒沢陸橋(かつては大森駅まで)、練馬車庫(桜台)、品川駅(品川車庫)などがある。 関東バスおよび系列のケイビーバスは、小滝橋通りを大久保方面に運行し、大久保通りを中野方面、早稲田通りを中野方面(以上関東バス)、下落合・戸山方面(ケイビーバス)の3方向に分かれる。停留所名は、ほかの各社が「新宿駅西口」としているのに対して、この2社は「新宿西口」であり、「駅」が付かない。 京王系の京王電鉄バスと京王バス東の沿革は、上記の甲州街道自動車を源流とする京王電気軌道系のバスと東京横浜電鉄系のバスの2系統がある。京王電気軌道系は現在の当駅周辺の路線網の源流である。これに対し、東横系は当駅には乗り入れなかったものの、中野地区や永福町周辺の路線の路線網の源流となっている。 京王のバスは、方南通りを経由して杉並方面、水道道路・中野通りを経由して中野方面、参宮橋を経由して渋谷方面に運行するものが主である。このほか、新都心における短距離路線にも力を入れており、後からC・H01(都庁循環)系統に参入したほか、100円ワンコイン運賃のS01(新都心循環)系統を2003年4月に開設した。 戦前は、京王線に並行して甲州街道を運行するものが主であったが、戦後になって事業エリアの変化や新道の開通により、独自性の高い方南通りや水道道路を運行する路線が増えていった。 小田急バスの新宿駅乗り入れの歴史は浅い。元々武蔵野市と三鷹市に営業基盤を持っていた同社の前身、武蔵野乗合自動車が戦後に都営・京王との3社相互乗り入れによる武蔵境駅 - 東京駅線を開設して新宿へ足を伸ばしたもので、現在はその一部として残った新宿駅西口 - 武蔵境駅間を単独で運行している。このほか、2000年9月からは小田急シティバスがよみうりランドに至る路線を春と秋の季節限定で日曜・祝日のみ運行しているが、共に京王線との並行区間が多いため本数は少なく、特に後者は一般にほとんど知られていない。共に高速バスと同様に小田急ハルク前を発着する。 西武バスの路線も同様に少なく、現在は以下の路線が乗り入れているだけである。都営が宿62系統を短縮した今、山手通りを東中野方面に向かう唯一の路線となっている。 東急バスは現在は乗り入れていないが、かつて3路線が乗り入れていた(このうち宿97は新宿駅東口発着であり、西口ターミナルへは乗り入れていない)。いずれも都営か京王との相互乗り入れによって新宿へ足を伸ばし、昭和50年代半ばまでに廃止もしくは短縮された。宿50は現在は閉鎖されている京王デパートと安田生命ビルの間にあったプラットホームに発着していた。 都内を走るバス路線の系統番号は、漢字(原則 一部ひらがな・英文字)+数字の組み合わせから構成され、当駅発着路線を示す漢字記号として都営バスを除き「宿」が用いられる。また、数字部分は都営と民営各社で付け方のルールが異なり、以下のようになっている。 都営バスは、都心から見て新宿方面(さらに西側も含む)に向かう路線に70番台を付けるルールがある(一部の特殊系統を除く)。このため、駅乗り入れ系統番号の多くも70番台である。漢字部分を「宿」とせずに着点側を示す漢字を用いることにより漢字+数字の組み合わせから発着点を把握できるようにしている。なお、新宿から練馬方面と城南地域へ向かう路線には、それらの地域を示す60番台や90番台を用いている。 民営バスは原則として漢字記号に「宿」を使用し、都営との数字部分の重複を避けるため、00番台 - 50番台の間に収まっている。これは当駅を基準として方面別に以下のように割り当てられている。 高速バス路線は、西口の「新宿高速バスターミナル」、新南口のJRハイウェイバスのりば、西口バスターミナルの3カ所から発車している。首都高速新宿線から中央自動車道方面に向かうものが多い。乗り場は会社・路線によって異なり、降車場所も異なる。高速バス乗り場は3つに大別できる。 中央高速バスを中心とした京王グループおよび共同運行会社のバスが発着する。詳細は当該項目を参照のこと。 新南口にはJRバス関東の新宿営業センターに併設されたターミナルがあり、JRバス各社と共同運行会社が発着する。東京駅八重洲南口のJRバスターミナルと共に、都内におけるJR高速バスの予約・発券を受け持つ窓口がある(中央高速バスのJRバス関東担当便とJR東海バスの「渋谷・新宿ライナー静岡号」を除く。これらの路線は新宿高速バスターミナルに発着し、東京側の予約・発券業務も新宿高速バスターミナルで行われている。)。 小田急系およびケイビーバスの一部とそれぞれの共同運行会社による高速バスは、西口バスターミナル内を発着する。 小田急シティバスが運行する都市間高速バスは以下の通りであり、すべての路線がハイアットリージェンシー東京前を起点とし、一般路線バスと同じ西口の小田急ハルク前(35番のりば〈駅B17出入口前〉)に停車する(ただし下記の岡山方面行は除く)。 ケイビーバスと小田急シティバスの高速路線のうち、豊橋・岡山方面の路線はほかの路線と異なり、MY新宿第2ビル前(26・27番のりば)から発車する。 空港直通バスは、東京空港交通が京王百貨店前の乗り場から羽田空港・成田空港に向かう路線を運行している。 新宿駅という駅名は、江戸時代に甲州道中(甲州街道)の日本橋と高井戸の間に新しく作られた宿駅である「内藤新宿」が由来となっている。 新宿に鉄道の駅ができたのは、1885年に日本鉄道により赤羽 - 品川間の路線(現在の山手線)が開設された時である。しかし、この時は新宿と言っても町外れに駅が設けられたためにほとんど利用がないこともあったと伝えられている。平日でも利用客はごくわずかで、雨の日など利用客が0人の時もあった。[要出典] 次いで、1889年に甲武鉄道によって立川までの路線(現・中央本線)が開設され、同年8月には八王子まで延長された。また、この頃に電車線用のプラットホームとして、本来の新宿駅のプラットホームのほかに、構内の大久保寄りの青梅街道付近にもプラットホームが設けられていた。 その後も私鉄の乗り入れは相次ぎ、1915年に京王電気軌道(現・京王電鉄)が南口の甲州街道上に、1923年には帝国電灯西武軌道線(後の都電杉並線)が東口に、1927年には小田原急行鉄道(現・小田急電鉄)が西口にそれぞれ新宿駅を開業させている。 京王線の新宿起点は、新宿駅ではなく新宿追分交差点(後に隣接する京王新宿駅に移転)であり、現在の新宿三丁目駅の位置付近にあった。しかし、1945年に空襲で変電所が被災した影響で南口跨線橋上の運行に支障が出たため、同年7月に東横線新宿駅予定地だった現在の西口に移転している(京王線の新宿駅付近の廃駅の項を参照のこと)。1952年には西武鉄道の新宿線が西武新宿駅(歌舞伎町付近)まで延伸した。 小田急と京王のホームが地上にあった一時期に、のりばの番号が国鉄(現・JR)→小田急→京王の順で連番だったこともある。この当時は、各社の駅をつなぐ連絡跨線橋が設置され、乗客の乗り換えに供用されていた。また、軌間が同じ国鉄と小田急の間には連絡線が設置されていた。 1969年(昭和44年)- 新宿西口反戦フォークゲリラ事件が発生。フォークソングの歌手達が反戦歌などでベトナム戦争反対を訴え、最大で4万人が集結するが、警察が集会を禁止した。 1986年に埼京線を当駅に延伸するため、現在の1・2番線の場所に1面2線のホームを設置したが、当時の国鉄では「番線は駅長室に近いほう(当駅は東側)から番号を振る」という方針だったため、上記5つのホーム全ての番線をずらすことになった。約20年ぶりの番線変更でもあり、のりばを番線で覚えていた利用者は混乱した。 5・6番線は従来は中央線特急ホームとして使われてきたが、2007年11月25日より9・10番線に移転したため、5・6番線ホームは「ホームライナー小田原」やごく一部の「あずさ」の終着、高崎線・宇都宮線方面の特急やライナーなどに使われていた。2008年3月15日のダイヤ改正では、「成田エクスプレス」の全列車と、東海道・高崎・宇都宮線方面のライナー・特急の多くの列車が発着するようになっている。なお、駅名標の両隣の駅は池袋と渋谷であり湘南新宿ラインにおける隣の駅に準拠している。なお、帯中央の色は青色とオレンジ色で、成田エクスプレスと東武線直通特急の案内色と重なる。 湘南新宿ラインが登場した当初は、1・2番線が15両編成に対応せず、3・4番線は以前から成田エクスプレスや東海道線、宇都宮線、高崎線に直通する特急列車および宇都宮線、高崎線に直通する普通列車の発着に使われ、宇都宮線・高崎線に直通する普通列車に対応して15両に対応していたため、1・2番線は埼京線の専用ホームとして使われ、湘南新宿ラインは進行方向にかかわらず3・4番線から発車していた。しかし、3・4番線は前述の各種列車、さらには恵比寿方面からの埼京線にも使われていたため、増発が困難となっていた。さらに南行の列車でも4番線から発車するものもあったので、同じホームから北行の列車と南行の列車が発着するため利用客が混乱した。そこで、湘南新宿ラインを1・2番線にも発着できるようにした。2008年3月15日現在は、南行の湘南新宿ラインと南行の埼京線が1番線、新宿折り返しの埼京線が2・3番線、北行の湘南新宿ラインと北行の埼京線が4番線を使用している。ただし、1 - 4番線は運転系統が複雑なため、より多くの情報を表示できるような横幅の広い発車標が設置されている(1・2番線は新設当初反転フラップ式案内表示機を設置し、後に中型のLED式発車標を新設、その後反転フラップ式の発車標も中型のLED式のものに置き換えた)。 上越新幹線が当駅から大宮駅まで建設される計画がある。様々な事情により建設が凍結されているが、現在も破棄されたわけではない。このルートは大宮から埼京線の戸田公園駅付近まで現在の東北新幹線に沿って新しい高架橋を建設し、荒川の手前からトンネルを建設して当駅に達する。かつて中央新幹線(リニアモーターカー)の起点駅となるなどの構想などが語られたものの、現在ではそのようには考えられていない[1]。駅を建設するための空間は現在でも確保されており、JR在来線の直下(地下)にある。さらに、東海道新幹線方面に連絡線を敷設する計画もあるため、代々木付近の山手貨物線(湘南新宿ライン・埼京線・りんかい線)の踏切の地下道化は見送られている(そのため現在でも「開かずの踏切」状態が続いている)。上越新幹線については、利用客の利便性および災害時等におけるターミナル一極集中のリスク回避によるターミナルの二極化の必要性から、整備新幹線事業とは分離して新宿 - 大宮間の早期建設を望む声もある。なお、この空間を避けるため、京王新線と都営新宿線の新宿駅(新線新宿駅)のホームは地下深く(地下5階)建設されている。 お知らせ:上記外部サイトの利用にあたってウィキペディアは一切責任を負いません。ご自分の責任でお願いします。Wikipedia:免責事項もお読みください。 なお、ウィキペディアはいかなる広告宣伝活動も受け入れておりません。宣伝リンクを見つけましたら除去にご協力をお願いいたします。 |
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