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ツールとは?/ アットローン

[ 204] ツール・ド・フランス - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9

毎年7月に3週間以上かけて行われるステージレースで、距離にして3500km前後、高低差2000m以上という起伏に富んだコースを走りぬく。フランス国内でのレースが中心だがイギリス、イタリア、スペイン、ベルギー、モナコなど周辺国が舞台になるステージもある。ステージ数は通常21前後。平坦ステージ、山岳ステージ、タイムトライアルステージ(個人、チーム)と多彩なステージ設定がされているが、山岳の比重が大きくなることの多いジロ・デ・イタリアやブエルタ・ア・エスパーニャに比べて平地ステージと山岳ステージのバランスがとれた構成となっている[1]。
1社ないし数社のスポンサーの名を冠した9人編成のチームが、20〜22チーム参加する。出場する選手の国籍はヨーロッパだけに限らずアメリカやオーストラリア、カザフスタン、コロンビアなど多様である。
総合成績1位の選手には「マイヨ・ジョーヌ」と呼ばれる黄色のジャージが与えられるほか、スプリント賞、山岳賞、新人賞といった各賞の対象者も特別なジャージを着用する。
例年、前半は平坦基調のステージが続き、スピードマンたちの逃げやスプリンターたちによる迫力あるゴールスプリントが見られる。そして中盤から後半にかけてはラルプ・デュエズ、ガリビエ、モン・ヴァントゥなどの峠を舞台にした山岳ステージで総合優勝をかけたオールラウンダーたちの戦いが繰り広げられる。
従来は各ステージのゴールと次のステージのスタートが同じ町だったが、スタート・ゴール地点を希望する市町村が多いため現在は一致しないことが多い。ただし、最終ステージはパリ市街を中心に回るクリテリウム形式のコース設定がされ、シャンゼリゼゴールに設定されるのが恒例である。
なお、最終日は選手たちがシャンパンを片手に走る光景もよく見られるなど顔見せの凱旋パレードの色合いが強く、ポイント賞を争うスプリンターや何としても1勝したい選手以外は本気での勝負を行わない。また、総合優勝を争う選手は集団落車に巻き込まれないようアシスト選手で周囲を固め、ゴールスプリントが済んだ後にゴールに入るため、実質的な総合優勝争いは最終日の前日までと考えて良い。
1903年に行われた第1回大会は合計走行距離2428km・6ステージで行われ、1ステージ平均400kmを走るという過酷なレースであった。また初期のレースではほとんど休みが無い耐久戦であり、眠る際にもライダーは道路脇で眠り、他者の協力を得ることは禁止されていた。
第3回大会からは距離を縮めた分、ステージ数が倍増。さらに山岳ステージが導入された。変速機が無い当時は登山用ギアは後輪の反対側に取り付けられており、坂に来るたびに選手は後輪を前後反対に付け直さねばならず1ステージの距離こそ短くなったが、レースは相変わらず過酷なものだった。
1990年代前半にはミゲル・インドゥラインが史上初の5連覇を達成。2000年代にはランス・アームストロングが7連覇を達成している。
他に3週間程度にわたり行われる大規模なステージレースとしてはジロ・デ・イタリア(イタリア一周)とブエルタ・ア・エスパーニャ(スペイン一周)があり、これにツール・ド・フランスを加えて俗にグランツール(三大ツール)と呼ばれるが、その中でもツールの知名度・露出度は突出しており、日本でも「世界最大の自転車レース」として認識されている。
また世界中で他の自転車レースには興味がなくてもツールだけは熱狂的に応援するファンが多数存在しており、開催規模や放映される国の多さ、参加する選手の国籍の多彩さなどから見ても世界屈指のスポーツ競技大会である。
そのため総合優勝をはじめとした各賞のステータスが非常に高いことはもとより、各ステージの優勝もクラシックなどのビッグレースでの優勝に匹敵する価値があるとされ、1回のステージ優勝であっても生涯の勲章になる。それゆえプロロード選手にとっては一度は出場してみたい大会の筆頭である。
レースが非常に大規模かつ知名度・露出度が高いため専門の本部が置かれ、およそ500名のスタッフが運営に関わる。また、交通規制やレース中の警備、極端な不正行為(ドーピングレベルでなく禁制薬物使用など)の取締りはジェンダルマリー(フランス国家憲兵隊)とポリスナシオナル(フランス国家警察)の2系統の警察が担当しており、これに動員される人数が約2万5000人。さらにボランティアで警備などを担当する人は数十万人にのぼると推察されている。
またレース中は情報・補給食・飲料水を供給したり、機材のトラブルをサポートするメカニックが乗り込んだ「サービスカー」と呼ばれる車やオートバイが選手とともにおよそ1500台走る。このサービスカーはチーム専属の車両のほか、中立の立場で水や自社機材を提供する(ニュートラルカー)も参加している。
このほかにも選手が通過するおよそ1〜2時間前にレーススポンサーの宣伝カーが連なったキャラバン隊が沿道の観客に帽子、菓子、キーホルダー、Tシャツ等々のグッズをばら撒いていくが、配られるグッズの数は1000万を超え、動員される車の台数はおよそ200台にもなり最初から最後まで見るのに30分以上かかるほどである。2000年・2002年にはこのキャラバンカーに観客の子どもがはねられ死亡する事件が起きている。
運営費は主にテレビ放映権とスポンサー収入でまかなわれるほか、レースの舞台となる市町村から主催者に支払われる開催料も充てられている模様だが、正確な収入および運営費用は非公開となっている。
数種の賞が設定されており、各賞に応じた色別のジャージ(リーダージャージ)、または特別なゼッケンがある。前日のステージ終了時点で各賞の成績第1位の選手およびチームは、翌ステージでそのジャージまたはゼッケンを着用しなければならない。
黄色のジャージ「マイヨ・ジョーヌ (maillot jaune) 」は個人総合成績1位の選手に与えられる。各ステージの所要時間を加算し、合計所要時間が最も少なかった選手が「マイヨ・ジョーヌ」着用の権利を得る。最終ステージの終了時点で「マイヨ・ジョーヌ」着用の権利をもっている選手がツールの総合優勝者となる。
タイムトライアルを除く各ステージで特に果敢に動いたと認められた選手には「敢闘賞」として、通常白地に黒文字のゼッケンの代わりに赤地に白抜き数字のゼッケンが与えられる。「敢闘賞」は他の賞と異なり審査員の主観によって選ばれる賞で、各ステージ終了直後に受賞選手1名が主催者から発表され、表彰が行われる。また、最終日には大会全体で最も果敢な走りをしたと認められた選手1名に「スーパー敢闘賞」が送られる。
各ステージの終了後、チームごとに先頭から3名の所要時間が加算され(各チームの総合時間成績の上位3名ではないことに注意)、最も少ない時間のチームが表彰される。2006年からは黄色地に黒文字のゼッケンがチーム総合首位の選手全員に与えられている。
ゴール争い時の危険防止のため、集団でゴールした場合、集団内のすべての選手は集団先頭と同タイムとみなされる。同様の目的でゴール手前3km以内(2004年までは1km以内)で落車した場合は、元々その選手が加わっていた集団と同じタイムが与えられる。
スプリントポイントについては与えられるポイント数がステージの形状により変わる。ゴールでのスプリントポイントは平坦ステージの場合が最も高く、以下、中位のステージ、山岳ステージ、タイムトライアルの順にポイントが少なくなる。また各ステージにはおおむね2箇所の中間スプリント地点が設定されており、そこを3位までに通過した選手にポイントが与えられる。総合成績と異なり1cmでも先に通過した選手がより高いポイントを得られるため、ポイント設定箇所、特にゴール前ではスプリンター同士の熾烈な争いが繰り広げられることとなる。
山岳ポイントについては上り坂の勾配と長さに応じてカテゴリー超級からカテゴリー4級までの5段階に区分されており、通過順にカテゴリーに応じた山岳ポイントが与えられる。カテゴリー超級の坂はいずれも過酷な登りであり、ツールマレー峠、モン・ヴァントゥ、ガリビエ峠、ラルプ・デュエズ等が有名である。近年はポイント稼ぎの目的でコース前半の山岳でアタックし最後の上りとなる山頂ゴールでは大きく後退する作戦で山岳王を狙うケースが目立ったことから、2004年よりルールが改正され、最後の上り坂がカテゴリー2級以上の場合は与えられるポイントが2倍となった。このため最後まで上位集団に食らいついてゴールした方が総合優勝争いだけでなく山岳賞争いでも有利になったため、戦略にも大きな影響が出ている。
2007年まで国籍別ではフランスが36勝、次いでベルギーが18勝、スペインとアメリカ合衆国が10勝、イタリアが9勝、ルクセンブルグが4勝、スイスとオランダがそれぞれ2勝、アイルランドとデンマークとドイツが各1勝となっている。
ツールで総合優勝を5回達成した選手達を俗に「5勝クラブ」と呼んでいる。「5勝クラブ」に名を連ねている5人はいずれも歴史に残る名選手である。2005年ツールにてランス・アームストロングは史上初の7回の総合優勝を達成した。
タイムトライアルのスペシャリストである。1957年に初出場にもかかわらず、圧倒的な強さで初優勝を飾った。その後、肺炎等のため勝利から見放されていたが、1961年にカムバックを遂げ、勝利を重ねた。1964年のレースでは消化不良に苦しんだが(休養日に振る舞われた羊料理のためとされる)、それを隠し通し、ライバルの追撃を振り切り5度目の栄冠を?んでいる。
ツール・ド・フランス5勝に加え、ジロ・デ・イタリアでも5勝、世界選手権でも3回優勝している。クラシックレースでの強さも圧倒的で、勝利に対するあまりの貪欲さから「食人鬼」の異名をとった。トータル525勝、勝率28.12%は、史上最も偉大な選手としてふさわしい記録である。
初出場の1969年には総合優勝に加えてポイント賞と山岳賞も併せて受賞し、主要3部門独占を果たしており、この記録を達成した選手は今もなお、メルクスただ一人だけある。
ジャック・アンクティル、エディ・メルクスに続いて、初出場で初優勝を飾った。「ブルターニュの穴熊」の異名で呼ばれた。
1985年のレースでは山岳ステージの落車で鼻を痛め、呼吸が困難になるアクシデントに見舞われ、チームメートだったグレッグ・レモンに優勝のチャンスが舞い込んだが、翌年はイノーがレモンのアシストに徹することを条件に優勝を譲らせたという逸話が残っている。しかし翌年、6勝目を挙げるべくレモンに立ちはだかったため、2人の間に確執が生じることとなった(結局この年はレモンが総合優勝をしている)。かねて公言していた通り、1986年に32歳の若さで引退した。
ツール・ド・フランス史上初となる5年連続優勝を達成した。80kgを超す巨体ながら山岳ステージや個人タイムトライアルで絶対的な強さを発揮した。92年、93年にはジロ・デ・イタリアとツール・ド・フランスをの両方で総合優勝する「ダブルツール」を2年連続で達成するという、空前絶後の偉業を成し遂げている。
圧倒的な強さに加え、どの選手からも尊敬され愛される穏やかな人柄から「ロワ・ソレイユ(太陽王)」とまで呼ばれた。
1996年に精巣腫瘍に冒されたが、1998年に奇跡のカムバックを果たし、1999年の優勝を皮切りに史上初の7連覇を達成。上りで極端に軽いギアにして高ケイデンスで走るという独特の走法で山岳で圧倒的強さを示したほかタイムトライアルも得意とした。
なお、ツール・ド・フランスにおける彼の圧倒的な強さの背景には、彼の実力もさることながら、これまでの名選手のようにほかのビッグレースでも勝利を目指すのではなく、ツール・ド・フランスに勝つことのみに照準を合わせ、それ以外のレースは全て調整と割り切っていたという事情もある。
1998年にチームフェスティナの車から禁止薬物が発見されたことに端を発し、逮捕者8人を出す一大スキャンダルに発展、第6ステージ終了後、チームフェスティナはツールから除名された。さらにツールに国家憲兵隊が介入したことに抗議して、第17ステージを選手全員がボイコット。次の第18ステージではスペインから参加した全チーム、およびイタリアから参加した1チームが棄権した。この結果完走者は96名という1983年以来の二桁を記録することとなった。
2006年にはオペラシオン・プエルトの余波を受けてヤン・ウルリッヒやイヴァン・バッソ、アレクサンドル・ヴィノクロフなどの優勝候補が軒並み出場停止となったほか、総合優勝したフロイド・ランディスも後にドーピング違反により、タイトルの剥奪が決定した。
2007年にもドーピング問題は再び猛威を振るい、優勝の大本命とされていたアレクサンドル・ヴィノクロフが第15ステージ終了後にドーピング検査で陽性反応が出たことで棄権。さらに第16ステージ終了後にコフィディスのクリスティアン・モレーニがドーピング疑惑で連行されたうえ、総合優勝をほぼ確実にしていたラボバンクのミカエル・ラスムッセンも検査に際して虚偽の居場所を報告したことでドーピング疑惑をかけられてチームを解雇される形で棄権。この影響でアスタナ・チーム、コフィディスはチーム全体が棄権することになった。
なおJ SPORTSの生中継では中継が非常に長時間(最大で7時間強)に及ぶことから、放送中に実況・解説者に補給食(レース中に選手が補給食を受け取るための袋にちなんで「サコッシュ」と呼ばれている)が配られそれを食べながら放送を行うという、他のスポーツ中継にはない特色がある。2007年にはJ SPORTSの携帯サイトにおいて、視聴者が中継を見ながら食べているものを写メールで送ってもらう「今日のサコッシュ」というコーナーが展開されるなど、ツール中継における名物となっている。また、2000年から2004年まで開催期間中に非公式裏ツールとサイトが公式サイト内に設置され、視聴者からの質問等をフォローしていた。川柳の投稿や放送内に行われるプレゼントクイズへの珍回答などを題材に毒舌の担当者(J SPORTS 編成担当TY氏)の独断と偏見でプレゼントが贈られるなどファンには人気があったが、いまは終了している。
スポーツ番組とは関係がないが、ドラマ『僕の歩く道』では、主人公の大竹輝明が自閉症の症状でこのレースの歴代優勝者を落ち着かなくなったときにつぶやくというシーンがある。
^ 全レース終了後に行われたドーピング検査において総合1位となったフロイド・ランディスの体内から多数の禁止薬物が検出された。これを受け、ランディスの総合優勝は保留とされ、その後公聴会などの調査が続けられた。1年以上に亘る調査の結果、2007年9月20日に「アメリカ合衆国反ドーピング機関」 (USADA) が後日ランディスの総合1位記録を取り消し、失格とする告知を出したことからオスカル・ペレイロの繰り上げ優勝はこの時点で決定的となった。21日には、UCIが正式にランディスの失格とペレイロの優勝を認定し優勝が決定。そして同年10月15日に総合ディレクターのクリスティアン・プリュドムより優勝ジャージ(マイヨ・ジョーヌ)が授与された。
この「ツール・ド・フランス」はスポーツに関連した書きかけ項目です。この項目を加筆、訂正などして下さる協力者を求めています(ポータル スポーツ/ウィキプロジェクト スポーツ)。

 

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