とんねるずとは?/ アットローン
[ 1471] とんねるず - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A8%E3%82%93%E3%81%AD%E3%82%8B%E3%81%9A
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コンビ芸人だがとんねるずはボケとつっこみの役割が特に分れていないスタイルである。デビュー当時のプロフィールにはそんな自分たちの存在を“カリスマ芸人”と記載していた。とんねるずは現在の若手お笑い芸人における、特定の師匠を持たないお笑い芸人の草分け的存在である。 共に東京都出身で帝京高等学校を卒業。在学中、石橋は野球部、木梨はサッカー部に所属。この2つの部の交流は盛んで、部室内でのモノマネや一発芸などを披露を通じ、それぞれの部の「一番面白いヤツ」とお互い認識したのが出会いのきっかけ。当時は主に先輩や先生のモノマネなどで、共に校内の人気者であったという。 石橋は高校在学中から「ぎんざNOW!」(東京放送)や「TVジョッキー」(日本テレビ)をはじめとした、素人参加番組の常連であり、アントニオ猪木のモノマネやスポーツ選手の形態模写をはじめとする芸で一部の視聴者から注目されていた。なお同時代のライバルには竹中直人がおり、TVジョッキーのザ・チャレンジ(素人お笑い勝ち抜きコーナー)グランドチャンピオン大会で第3代チャンピオン石橋と初代チャンピオン竹中が対決している。 また石橋ほどの頻度ではないが主に和田アキ子のモノマネで素人参加番組に顔を出していた木梨を、高校卒業の記念として石橋が誘い、所ジョージ司会の「ドバドバ大爆弾」に出演。それがコンビとして初めてのテレビ出演となる。「お笑いスター誕生」の出演までは、賞金を合計で多く得るために、意図的にバラバラで出演することもあったという。 帝京高校卒業後、2人は一般企業(石橋はホテルセンチュリーハイアット、木梨はダイハツ)に就職するものの、「お笑いスター誕生」へのチャレンジ決意を機に再会。漫才ではなく、モノマネや一発ギャグ、学校やアイドルタレントの一コマを演じるコント等面白いものは何でもエネルギッシュに演る多彩さで、素人ながら5週目まで勝ち抜く(当時のコンビ名は「貴明&憲武」)。 それを契機に2人は退社、1980年に正式にコンビ結成。コンビ名も「とんねるず」と改め「お笑いスター誕生」にプロとして再挑戦して挑むが、惜しくも10週目で落選してしまう。またこの時期、同番組NTVの赤尾プロデューサーの紹介で、赤坂のクラブ「コルドンブルー」におぼん・こぼんの後釜として所属。芸風がクラブの客層に全く合わず、厳しい下積み修行時代を過ごした。 ちなみに、現在のコンビ名「とんねるず」は、NTVプロデューサー(当時)・井原高忠(通称:ター様)が貴明のTと憲武のNをもじった「とんまとのろま」と「とんねるず」を提案し、本人たちに選ばせた(井原はザ・ピーナッツの命名者でもある)。 1981年には西城秀樹司会の朝の情報番組「モーニングサラダ」にレギュラー出演も、些細な事から前出のNTV・赤尾プロデューサーと衝突。一貫してNTV系番組出演タレントであったとんねるずは同局から完全に干されることになる。この間は新宿御苑のパフォーマンスバー「KON」に出演するなど、再び下積み時代を過ごした。また、この頃は同じショーパブ系タレントであるビジーフォー(いそがしバンド)やアゴ&キンゾーらと交流を持ち、グッチ裕三宅に居候していたこともある。 その後、西城秀樹の初代マネージャーだった秦野嘉王が設立した新事務所「AtoZ」の所属第一号タレントになり再浮上の機を窺うことになった。秦野は、当時のお笑い芸人には無縁だったスタイリストをとんねるずに付け、派手なブランドの代名詞でもあったK-FACTORYの衣装をコンセプトとするなど、イメージプロデュース戦略を図った。また現在に至るまでとんねるずの重要なブレーンであり、彼らの楽曲の作詞を行っている秋元康との出会いもこの時期である。 こうして周囲の環境も整え、エネルギーも充分に蓄えたとんねるずは1983年、深夜の人気番組「オールナイトフジ」を皮切りにテレビ復帰。当初は番組後半に5分のコーナー「とんねるずの見栄講座」をもらったに過ぎなかったが、その後「とんねるずの何でもベストテン」「とんねるずなっわけだぁ!」とコーナーや番組内のOA時間が早まるにつれ、学生を中心とした、若者に爆発的な支持を集め、翌1984年に放送した同番組の「女子高生スペシャル」の発展形としてスタートした「夕やけニャンニャン」(1985年-1987年)では片岡鶴太郎、吉田照美を脇役に追い立てるほどパワーと存在感を示した。 その後も「オールナイトニッポン」「トライアングル・ブルー」などレギュラー番組を順調に増やしてゆく。 またこの頃、新・ど根性ガエルのテーマ「ピョン吉・ロックンロール」以来のシングル「一気!」をリリース。 テレビでは、ゴールデンタイムの初の歌番組となった、TBSの「ザベストテン」でのコーナー「今週スポットライト」で「一気!」が歌われた際の格好と、態度が普通の芸能人とあまりにも、かけ離れていた(学生服に微動を打にせずいつもの二人とは違う芸風だった事などが)ことが、一般人には、大きなインパクトを与えるなど、彼らの勢いと、視聴者の驚きが見事にシンクロし、大きなヒットを記録をする。この出演をきっかけに、深夜番組だけでなく、本格的にとんねるずを世に知られる事となった。 同曲は「オールナイトフジ」のコーナーでも毎回歌われ、セットを壊す、思い余ってTVカメラを倒壊させる、自ら勝手に「カリスマ芸人」と名乗る、などのインパクトある言動で、視聴者に強烈な印象を与えた。ちなみに1985年には、「一気!」のあまりの人気に、前述のとおり断絶状態であったNTVが動き、「スーパージョッキー」に歌手としてとんねるずを呼ぶことで、当時の関係者だけが知る事実上確執の「手打ち」となった。 このようなアイドル的な人気も集める一方、「コラーッ!とんねるず」や「夕やけニャンニャン」などで披露するコントにお笑いファンからも注目されるようになる。二人ともお笑い芸人としては珍しくルックスが良かったことから、女性からの人気もあった。 当時はこの人気も一時的なものと見る向きもあったが、「とんねるずのみなさんのおかげです」で本格ブレイク。「仮面ノリダー」「保毛尾田保毛男」などのコントが好評で、放送当初は視聴率20%超えを連発。(最高視聴率は1989年3月30日の29.5%[関東地区])それと並列するように音楽活動にも精力的に臨み、ヒットを重ねスターの座を不動のものにする。 その後も「ねるとん紅鯨団」「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」といった長期レギュラー番組に出演。「とんねるずのみなさんのおかげです」が終了し、充電期間を挟み「とんねるずのみなさんのおかげでした」とリニューアルした後も長きに渡って一線で活躍する、漫才ブーム以降を代表するお笑いコンビである。 近年は別々での仕事が目立ち、石橋は得意のスポーツ、料理を題材にしたレギュラー番組出演、木梨キャラを自身のキャラを生かしたCM出演や、1人でお笑いの舞台を主催するなど、両名ともに活動の幅を広げている。 デビュー当時は、それほどでもなかったが、オールナイトフジ出演以降に若さとエネルギー全開「ナ!訳だァ!」節炸裂の過激トークや、スタジオで所狭しと暴れるなどの勢いに任せた行動が茶飯事だった。そのためか、テレビを観ている視聴者はおろか共演者すらも笑顔がひきつるようなハプニングもしばしばで、そのハチャメチャな行為を繰り広げるその光景は常に賛否の渦中にいた。特に出世番組ともいわれる「夕やけニャンニャン」ではアイドルによって態度が激しく違うため、自分が好みのアイドルが不本意なイジられ方をすると「あの石橋や木梨の態度は絶対に許さない」と不満を買った。しかしこれらも本人たちの計算とも言え、視聴者が自らをブラウン管の彼らに投影できるような身近なスタンスこそがとんねるずの魅力でもあった。 なお、とんねるずのトークの中にはその時代の流行を反映した言葉が多く用いられている。例えば「○○みたいな〜?」と語尾に付ける言葉は若者中心に使われているが、これは主に東京近郊の女子大生が使う言葉を敢えてとんねるずがTVで誇張して用いることで、全国的に広まった。 他にも「ねるとん紅鯨団」から端を発した「ねるとんパーティ」「ツーショット」、「ねる様の踏み絵」で使われた「元サヤ」など、彼らが発信元となった言葉は数多い。また、今では普通に使われる「○○系」「○○状態」も彼らが発信源である。 「内輪ネタ」もとんねるずの特徴である。ただし、これはある一部の放送関係者だけに向けた発言である事が多く、しかもその発言内容も視聴者にはわかりづらいものがほとんどであった。(古くはひょうきん族でもこの傾向は見られ、当時は“楽屋落ちネタ”と呼ばれた)。また、「とんねるずのオールナイトニッポン」ではトーク内容がほとんどスタッフ(放送作家、マネージャー、プロデューサー、高校時代の友人など)の話題で占めるため、ハガキ職人の書くネタの内容もその話題を受ける格好で放送関係者絡みのネタが目立ち、常連のリスナー以外が番組に馴染みづらいという側面もあった。 その「スタッフを表舞台に出す」というスタイルの一つの形が「野猿」の結成であり、その「スタッフネタ」から生まれた番組企画、コントも多数。でとんねるずならではのものであった。 近年、お笑いタレントがバラエティ番組の中で出演アイドルを面と向かって呼び捨てにする場面は珍しくはない。しかしこの点もとんねるずが元祖といってよい。それまでは礼儀として、また業界の暗黙のルールとしても“御法度”であった。 これは旧世代の芸人/漫才師の在り方に由来する。彼らの仕事は演歌歌手の前座が多く、正月の隠し芸大会等でもあくまで歌手や人気アイドルを引き立てる幇間であり、“歌手のおかげで食べさせてもらえる”意識が強かった時代の名残である。萩本欽一、タモリはもちろん、毒舌と言われたビートたけしでさえも、誰かを呼び捨てにするのは、本やラジオ、TVの各メディアで本人がいない場所に限られていた。これは明石家さんまを含めた漫才ブーム系芸人でも同様に守られており、呼び捨てはあくまでも芸人の先輩後輩や仲間の“同業者間”でのみ許されるものであった。もしもこれを侵せば業界から抹殺されかねないほどの約束事とも言え、対スポーツ選手でもこれは同様であった。 この状況の変化は、ビートたけしの登場から始まっている。大学生活を経験したという意味で芸人としては異色の存在であったビートたけしは、歌手やアイドルが実は間抜けで頭が悪いという面をどんどんネタにすることと、本格的な哲学をも怖じずに知的に語る活躍によって、お笑いタレントの地位を徐々に上げていった。ビートたけしが開拓したマルチタレントカテゴリに位置するとんねるずのルールは明快で、体育会のルールをそのまま芸能界へ持ち込んだ“年齢が上か下か”という点にのみ基準を置いている。年下は問答無用で呼び捨て、そしてスタッフや関係者には目上であっても“ちゃん”付けかあだ名を付けて呼ぶというものである。素人系のオールナイターズからおニャン子までは躊躇なく呼び捨て、アイドルに対しても、当初から比較的絡む率が高かったシブがき隊辺りから、「薬丸、テメー!」のような呼び捨てもハッキリと確認されるようになる。それ以後は、必要に応じて呼び捨てにしているようである。 傍若無人とも取れる行為であるが、とんねるずの場合は過去の風習も充分承知した上でのことであり、自己プロデュースの一環ともいえる。ガキ大将キャラ・とんねるずだからこそ周囲も納得して認めているものでもあり、これが業界に受け入れられたのは、芸人として確固たる結果を残しているためだろう。 とんねるずの二人はともに幼少時から超の付くTVっ子であり、特に「8時だョ!全員集合」のザ・ドリフターズをはじめ「カックラキン大放送」の堺正章、井上順、ラビット関根らのマンザイブーム以前のバラエティ番組全盛の時代の影響が強い。マンザイブームの時期はともに部活動に忙しかったこともあり受けた影響は少なく、独特の個性を持つコンビとなった。 バラエティ以外で影響を受けた者としては矢沢永吉、アントニオ猪木、「傷だらけの天使」の萩原健一らが挙げられる。 石橋貴明は素人時代にTVジョッキーで竹中直人と知り合いそれ以後親交が続いている。またお笑いスター誕生の出演者らとも交流を深めた。特にシティボーイズとはお互いネタを見せ合い評論し合う仲であった。他に小柳トム(現BGBブラザートム)や草野球友達としてツーツーレロレロ等と交流があった。1983年の再デビューまではショーパブ出演で知り合ったビージーフォー等と親交を深めた。特に、石橋とグッチ裕三との関係は、ホモかと思われるくらい仲が非常に良く、現在では妻鈴木保奈美と含めて家族ぐるみの付き合いをしている。大木こだまとはお笑いスター誕生以来の交友がある。 元々師匠も持たず、お笑いとは言え、漫才でもなくコントと言っても従来のスタイルではないとんねるずは他のお笑いタレントと共演する事が難しく、事務所と秋元康のイメージ戦略の中で常に番組の中にコーナーを設けて個別に好きな事をさせてもらえる環境を選び、新しいタイプのタレントの価値を模索する事になる。その為に先輩お笑いタレントと絡む番組は選ばず、表面上はマンザイブーム系のタレントとの共演は殆どなく、同業者の交流も前出のお笑いスター誕生系タレントが中心であった。ただし同年齢のタレントとは盛んに交流を深め、田原俊彦、久保田利伸、チェッカーズ等はプライベートでも会う友人である。このようにどちらかと言えばお笑いタレントに偏らず、タレント全般で幅広い交流を持つのがとんねるずの特徴でもある。 タモリはとんねるずが素人時代、お笑いスター誕生出演時にあまりに突飛なネタで他の審査員からさほど共感を得られなかったなか、「お前らなんだかわからねえけど面白い。」と褒めたことからとんねるずは好印象を抱いている。(2007年10月4日放送の「とんねるずのみなさんのおかげでした」でタモリと共演した際に)とんねるずは、「タモさんがお笑いスター誕生の審査員じゃなかったら僕たちはこの世に出てなかった」と語っている。この当時、とんねるずを褒めていたのはタモリと赤塚不二夫だけであった。 志村けんは、石橋の中学生素人時代の相方(島崎伸一・現制作プロダクション経営)が、ドリフターズの付き人になったことから、当初は石橋と付き合いが深かったが、後に木梨との付き合いが深まり、木梨自身もキャラクター設定、コントの作り方などで志村から多大な影響を受けたこともあり一時は「コンビ結成」の噂が立つほどだった。この件について石橋自身が志村本人に抗議して終息するという一幕もあった。ただこの付き合いの過程の中で、とんねるずはイザワオフィスとつながりを強めることに成功。後の独立へとつながる。 若手芸人との共演はナインティナインのねるとん紅鯨団出演を境に(その後、岡村隆史は1997年3月の「とんねるずのみなさんのおかげです」最終回の「仮面ノリダー最終回スペシャル」にてノリダーの分身役を演じた)積極的になり、年々増加傾向にある。また、吉本興業所属の芸人とも共演が多くなったのも特徴で、いわゆる「ダウンタウンファミリー」と呼ばれる今田耕司や東野幸治とも2000年以降共演する機会を持っている。また前出のナインティナインやロンドンブーツ1号2号、天然素材らは自らも語る通り、とんねるずの影響を直接受けた世代である。 一方で、同じくお笑い第三世代のダウンタウン(浜田雅功、松本人志)との共演はほとんどなく、唯一同一番組に出演したのは1994年に放送された『FNS番組対抗!なるほど!ザ・秋の祭典スペシャル』のみである。そのため一部のファンの間では不仲説が囁かれているが、どちらもそれぞれ看板番組を持てる力量のメジャータレントなので、帯番組で共演させる意味は業界的にほとんどなく、実際の所はお互い特別な感情は持っていない。過去にあったビートたけし、タモリ、萩本欽一の不仲説と同じ類と思われる。 余り知られていない事として、『お笑いスター誕生』時代に草野球の助っ人要員としての始まりで交流のあったビートたけしを元祖マルチタレントの先輩として尊敬している。この事はとんねるずの著書に記載されている。とんねるずブレイク後、オールナイトニッポンのスペシャル番組(そのときに第一部を担当していたパーソナリティー全員が集まった)で共演した際には、恐縮して静かなとんねるずに対して、ビートたけしは歌を披露し、「歌だして、とんねるずの人気を落としてやろうと思ったけど、俺はムリだな」と発言し、とんねるずを苦笑させている。また、ビートたけしの弟子であるそのまんま東(東国原英夫・宮崎県知事)などとは深く交流している。 また、横山やすしとは「うちの子にかぎってパート2」の第2話で最初で最後の共演を果たしている。また、やすしと同学年の田村正和と関口宏とも共演した。奇しくもやすしが演じた居作新太郎が経営する新聞配達店の店員の青年役を演じた。 とんねるずの二人は今は亡き歌謡界の女王美空ひばりとも生前は親交が非常に深く「お嬢」「タカ」「ノリ」と呼び合う間柄であった。とんねるずにとって美空ひばりはいわば芸能界の母のような存在と言えよう。 両者の出会いのきっかけは、とんねるずの大ファンだったひばりの息子、現ひばりプロ社長の加藤和也の誕生会に二人が呼ばれたことであった。その後もラジオ番組とんねるずのオールナイトニッポンに、ひばりがアポ無しで飛び入り出演した、とんねるずが出演していたオールナイトフジの生放送中にひばり本人から電話が入るなど、彼らのエピソードは枚挙にいとまがない。そのためか晩年の闘病の際、親交の深かった芸能人の見舞いにさえ「面会謝絶」の姿勢を崩さなかったひばりも、とんねるずの二人にだけは面会を許したという。 ちなみに、結果的にひばりの生涯最後のシングルとなってしまった「川の流れのように」は、奇しくもそのとんねるずが歌った「一気!」「雨の西麻布」「歌謡曲」などと同じ作詞・秋元康、作曲・見岳章のコンビによって作られた。 フジテレビのバラエティ番組「オールナイトフジ」のレギュラー当時、「一気!」の歌唱中、エキサイトした石橋が1台数千万円するテレビカメラにしがみついて倒し、壊してしまった。それから数年はフジテレビのNG名場面集番組などでその場面が繰り返しオンエアされ、倒したカメラを前におののく二人の姿は初々しくも微笑ましい。ちなみに放送業界にも保険という制度があるため、弁償は免れている。また同番組では青年の主張をやはり歌いながらセットに登りまくり破損している。ただ、同局の当時の看板音楽番組だった「夜のヒットスタジオ」の出演時は、プロデューサーの疋田拓の持つあまりの威圧感に萎縮してしまいカメラ転倒パフォーマンスを行うことはできず、石橋がカメラに近づき、木梨が「危ねえぞ!」と注意するに留まっている。 TBS「ザ・ベストテン」でも「一気!」の歌唱中にテレビカメラを倒している。当時の司会者黒柳徹子らも顔面蒼白になり、石橋は弁償を考えたが、テレビ局にとってはこのようなアクシデントもそう珍しいことではなく、また故意にやった訳ではないと判断され、結局は保険によって解決されたらしい。 TBS「うたばん」(放送時スペシャルの為、番組名「とくばん」)では、木梨が番組内で獲得した商品をカメラにぶつけ転倒させている。木梨は「大丈夫ですか?保険に入っていますよね?」とマネージャーの尾崎に確認し、逃げるように撤収した(カメラは無事だった)。中居正広が観客を煽ったことで、場内は「オールナイトフジ以来!」コールになった。 テレビカメラの破壊ではないが、日本テレビの歌番組「歌のトップテン」にて、「やぶさかでない」の歌唱中にカメラを強奪するというハプニングがあった。当時の司会者徳光和夫と石野真子、さらには番組スタッフに迷惑をかけてしまい、のちのマネジャーが番組終了後に謝罪した。ちなみに強奪したのは、前述の「オールナイトフジ」「ザ・ベストテン」でカメラを破壊させた石橋である(木梨もつられて強奪し、石橋の局部を映していた)。 またこれもテレビカメラの破壊ではないがTBS「ザ・ベストテン」で過去に日本平での生放送で出演した時、とんねるずがスタッフの担ぐ御輿の上に乗り、客席の間の通路を通ってステージに向う演出を行ったところ、御輿に観客が殺到、御輿の上の木梨は最後まで「危ない!」と殺到する観客に驚き、石橋は御輿から落とされ、その後殺到する観客に殴りかかってしまった。その様子は司会をしていた黒柳徹子や小西博之は、ただ見ているしかないほど凄まじい状況であった。その後ステージには無事に上がったが、二人の衣装はボロボロになり、怒りのあまり石橋は会場に向かってマイクを通し、「ふざけんじゃねぇよ!この野郎!!てめぇら最低だ!」と吐き捨てた。その後の歌も木梨はまともに歌おうとしたが、石橋は怒鳴るような感じで歌った。 オールナイトフジのとんねるずコーナーで募集を行った舎弟軍団。応募条件は大学生。ここでも高卒が大学生を自由に扱う下克上美学が炸裂。当初は4チーム存在していたが、途中で突然解散を告げられ『もっこりーず&ぺにーず』だけが残る。石橋曰く「俺達のガンバルマンズだ!」との通り、カニを口でくわえたりさせられたり体力型の試練ゲームをチーム対戦型で『憲武チーム』と『貴明チーム』に振り分けて展開した。メンバーは古賀薬局、ボッキー潮田等。ユニフォームはもっこりーずが上半身裸で赤いタイツ、ぺにーずが同じく黒いタイツ。双方登場のテーマ曲があり、もっこりーずが『♪も、も、も、も、もっこり?ず?♪』とボッキー潮田がフォークギターを弾きながら本日のテーマに合わせた歌詞にアレンジして熱唱しつつ皆で組み体操のような振り付けを決める。というもの。対してぺにーずは宴会ノリで『♪ぺぺぺい、ぺぺぺい、ぺぺぺいぺい♪ぺにーずの、ちょっといいとこ見てみたい♪(アレンジが入り最後に)あんたはお強い♪』である。特定のメンバーはそのまま夕ニャンにも出演。このメンバーの中にはそのままオールナイターズと結婚したメンバーもいる。オールナイトフジの最終回に可能な限りのメンバーを集め一度だけ再結成された。 それから時を経て、2005年9月に放送されたみなさんのおかげでしたの特番「とんねるずの石田さんのおかげでしたオールスター大感謝祭」に古賀とポッキーが出演。とんねるずの二人と再会を果たすが、その際木梨に「懐かしすぎて誰かわかりません」と言われた。 番組のスタッフはほぼ大半が大卒者である。自分たちが高卒でありながら芸能界で大成功したことを、むしろ出世的に(もちろんギャグとして)強調することが多かった(特に石橋)。弟子に東大生がいたのも「東大生が高卒の俺たちの弟子だぜ」とギャグとして使用。ちなみにその東大生の弟子とは、現在タレント・医師として活躍している吉田たかよしである。 ただし「ザ・ベストテン」出演時に高卒発言をした際には、共演者の小泉今日子や吉川晃司に「あたしは中卒。」「ボクは高校中退ですよ。」などと切り返される場面もあり、思わずとんねるずは沈黙してしまった。司会の黒柳徹子は「中学卒業でも偉い人はたくさんいるんだから威張らないで!!」と、とんねるずを叱責した。 版権についてはかなり厳しく、2004年に発売された『夕やけニャンニャン』のDVDでは出演箇所はモザイクで消され、CSで再放送されている番組(『ひょうきん族』等)でも彼らのシーンはカットされるか、放送されない回も多い。これは一説に、版権管理に厳しいイザワオフィス傘下で独立し事務所を構えたこと(イザワオフィスはドリフターズやとんねるずに関しての映像使用許可依頼に対し、数秒でも高額を要求すると言われている)や、それまでにも所属事務所を転々としてきたため版権関係が複雑化しているのが原因とされている。実際、ベストアルバムが発売される際には「○○所属時代のベストアルバム」と分類されることがほとんどである。 1983年に新事務所所属となり本格的なタレント活動戦略を練る中で、当時新進の放送作家であった秋元康の前でネタ見せを行う機会があった。そのネタからつかこうへいの影響を洞察した秋元は本人らにこれを確認するが、彼らはつかこうへいの名前すら知らなかった。その事実が秋元を驚かせ、それを機に秋元はとんねるずに可能性を感じ、以後彼らの筆頭ブレーンとして番組構成や作詞をはじめとしたイメージ戦略に携る事となった。 とんねるずに関しての初期文献広告批評とんねるず特集では、彼らを“下克上タレント”と評している。芸人間では通常上下関係に関しては非常に厳しいが、とんねるずは“生意気”“成り上がり”“下克上”など媚びぬことをスタンスに定めている部分があり、志村けんや笑福亭鶴瓶などの大物芸人相手にすら、番組中志村けんへ突然攻撃を仕掛けたり、鶴瓶へ「ねえ笑福亭」と屋号だけで名前を呼ぶ等、半ば意図的に芸人の礼儀を裏切る事がある。しかしとんねるずは誰もが認める体育会系であり、控え室では「志村さん」「鶴瓶師匠」と呼びキチンと礼を踏まえている。 フジテレビ系「夜のヒットスタジオ」には番組リニューアル直後の1985年4月17日放送に「一気!」で初登場。以来、1989年にかけて、20回以上にわたり番組に出演し、様々な話題を提供した。石橋・木梨ともに「ベストテン」と同様に「夜ヒット」に対しても相当の思い入れがあるらしく、「みなさんのおかけでした」など自身の番組ではよくこの番組に関連したエピソードを紹介することがある。 オープニングメドレー終了後に行われる季節の風物詩を紹介するセクションで、価格にしてウン十万ともウン百万とも言われる高級胡蝶ランを紹介した際、木梨がいきなりこの花びらを食べてしまい、司会の芳村真理に真剣に注意されたことがある(因みに当時、この番組で使う植物の大半は、芳村のコネクションを活用して提供されていたと伝えられている)。また同様にカブトムシを紹介した際にはそのカブトムシを生で木梨が食べようとしたところ、口にハサミの部分が挟まってしまい、唇から出血してしまったこともある。 名物コーナー・オープニングメドレーではヒッピー風、羽織袴姿などといった怒髪天な衣装で登場し、敢て音程を全て外して次に登場する歌手の持ち歌を歌ったり、DJ風のアナウンスで次の歌手の紹介を行うなど、自由奔放ともいえる振舞いを行っていた。しかし、前述でも随所に触れられている彼らの本質ともいえる、その裏での「体育会」系の対応が功を奏してか、通常ならば、下手に自分の唄を歌われると明らかに不機嫌な表情を浮かべることが多い大御所の演歌歌手に至るまで、このことにつき注意・批判を行う者はいなかった。 疋田拓プロデューサー時代はよく彼の言動に関連した小ネタ(「今日は疋田ちゃん、○○なんだよ〜」(例:「時間が推しちゃってて不機嫌だんだよ〜」など)を披露していた。いわば、後年の彼ら特有の「スタッフいじり」の伏線ともいえるものである。 番組を見ていた美空ひばりからいきなり放送終了後、2人に電話がかかってきて、深夜であるにも関わらずひばりの自宅に呼び出され、番組内での行き過ぎたパフォーマンスなどに対して説教を食らったことがある。 1986年6月、「やぶさかない」での出演時に、共演していた大勢の女性バックダンサーに歌が佳境に差し掛かった辺りで(勿論意図的な演出なのだが)一斉に襲いかかられ、石橋はズボンを脱がされ、下半身はブリーフパンツ一枚という姿になり、その姿のままスタジオを走り回って歌を締めくくるという「オチ」が付いた。これには、視聴者から賛否両論の意見があったようで、番組史上に残る「迷」シーンの一つとして後年の総集編でも定番ネタとなっていた。 1987年3月、「嵐のマッチョマン」で初の番組トリで歌を披露。この際、郷ひろみら他の出演者が途中から歌に参加して、一気にヒートアップし、賑やかに番組を締めくくった。 1987年10月、マンスリーゲストとして出演していた久保田利伸に某演歌歌手が後ろから何度も蹴りを入れているのを見兼ねた石橋・木梨の二人は、久保田を庇ってすかさず仲裁に入り、事態は収束した。久保田はこの一件以降、とんねるずの二人に対し深い恩義を感じ、親交を持つようになった。 1987年12月、つのだ☆ひろの作品「メリー・ジェーン」をそのままもじった「ジャニー・ジェーン」なる歌を披露。この際、サプライズゲストとしてオリジナル版の作者であり歌手でもあるつのだが階段から「メリー・ジェーン」を歌いながら登場し、さすがの2人も珍しく動揺の色を隠せなかった。また、歌い終わった後、スタジオ内が微妙な空気になっているのを察知してか、木梨が「終わりました?」と何故かスタッフの一人に確認する様子が映し出されていた。 1986年、「クイズダービー」にギャンブラーとして出場したとき、番組史上初めて第1問でいきなり持ち点3000点全部をはらたいらに賭けようとした。はらは確実に答えると見てこの行動に出たのだが、司会の大橋巨泉に「はずれたらなくなっちゃうからやめなさい!」と怒られたため、賭けることはできなかった。なお、番組の歴史上第1問で3000点を賭けようとしたのはとんねるずと若山富三郎(とんねるずとは逆の理由)のみである。 お笑い芸人としても成功を収めた彼らは、音楽活動でもトップクラスの実績を誇る。お笑いタレントがCDを出すことは珍しくないが、職業歌手並みに継続的なリリースの中でコンスタントにセールスの結果を出すタレントはめずらしい。 デビュー曲はアニメ『新・ど根性ガエル』の主題歌「ピョン吉・ロックンロール」。その後も「一気!」「雨の西麻布」など、音楽活動開始当初はどこかコミックソングを思わせるような曲を歌っていたものの秋元康や後藤次利、見岳章、友人の有名アーティスト(高見沢俊彦、玉置浩二、藤井フミヤなど)らが提供する曲の中には完成度が高いものもあり、「迷惑でしょうが……」や「おらおら」などは今でもファンの間で人気がある。 セールス的に大きく飛躍したのはシングル「情けねえ」以降といえる。以前は「初登場2位→翌週ランク外」がほとんどだったシングル売り上げが、「情けねえ」では数ヶ月もの間オリコンチャートの上位に位置するロングヒットを記録。同曲にて第22回日本歌謡大賞の大賞受賞、ついにはNHK紅白歌合戦に初出場し、パンツ1丁で出演して「受信料を払おう」というペインティングをして話題をさらったのはあまりにも有名。その後のシングル「ガラガラヘビがやってくる」では悲願のオリコン1位を獲得し、ミリオンセラーを記録する。シングル「一番偉い人へ」でも2週連続1位となる。 ライヴも積極的にこなし、過去に“アーティストの聖地”ともいえる日本武道館で1986年から1995年までに掛け、計6回の武道館ライブを。それだけでなく1989年には東京ドームで5万人以上もの観客を前にライブを行う。お笑いタレントのコンサート規模では最大の部類である。 その後、「とんねるず」としてはしばらく音楽活動から離れていたものの、「とんねるずのみなさんのおかげでした」内で番組スタッフと結成した「野猿」で音楽活動を再開することになる。この野猿でも紅白歌合戦に出場し、2000年3月15日から17日に掛けて、武道館3Daysライブを行っている。 野猿の解散時にファンがショックを受けて自殺をしてしまったことから、2001年以後は基本的に番組内企画ユニットなどの軽薄な音楽活動は自粛傾向にある。 だが、2007年11月8日放送の「とんねるずのみなさんのおかげでした」内で、石橋が秋SP(詳細は番組記事参照)で久しぶりに「一番偉い人へ」を披露した際に手ごたえを感じ、石田弘と相談した結果、音楽活動再開を検討していると語った。ちなみに、木梨はいつも通りというべきかその話を聞いていないらしい。 また、音楽活動時のバックバンドにはドリームズ・カム・トゥルー結成前の吉田美和と中村正人の二人が1988年頃一時在籍していた。中村は当時デビュー前の吉田に、大勢の観客との一体感、雰囲気を体感させるため、バックコーラスとしてとんねるずのライブツアーに同行させたのだという。過去にドリカムが「うたばん」にゲスト出演した際、その当時のVTRがオンエアされた。 「一気!」から秋元康がほぼ彼らの音楽活動に関わっているが、その戦略は「○○風」。原曲が存在した上でパロディ=フェイクの趣向としている。 「迷惑でしょうが…」=「前略おふくろ様」他 萩原健一(歌詞に“ぐでんぐでん"など萩原健一曲のキーワードが複数出る。全体のテイストは前略おふくろ様) 以上等原曲の特徴やサビ等がそのままあしらわれてアレンジされている。ポイントはとんねるずの世代背景を踏襲していることで、彼らの支持層の若者はこれらの楽曲を知らずに素直に評価する。またとんねるずと同世代か上の世代はこれを聴いて「ニヤリ」とする。この方法論は近年つんくがモーニング娘のプロデュースで踏襲している。過去にヒットした曲のエッセンスを採り入れれば曲の成功率は高まる理屈である。 映画『ウルトラマンゼアス』の主題歌「シュワッチ!ウルトラマンゼアス」も歌っている。これを収録したCDは非売品で、当時は映画の公開に合わせて出光が行ったキャンペーンを利用するか、劇場で前売り券を購入するかしてウルトラまいどCDを入手するしかなかった。2006年12月27日発売の「ウルトラマンシリーズ生誕40周年記念 ウルトラマン 主題歌大全集」が初の市販化となる。 『とんねるずのみなさんのおかげです』のオープニングテーマだった「うなちん」は当初発売予定だったが、諸事情により中止となった。 |
[ 1472] とんねるずのみなさんのおかげでした - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A8%E3%82%93%E3%81%AD%E3%82%8B%E3%81%9A%E3%81%AE%E3%81%BF%E3%81%AA%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%AE%E3%81%8A%E3%81%8B%E3%81%92%E3%81%A7%E3%81%97%E3%81%9F
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長年放送されていた『とんねるずのみなさんのおかげです』を1997年3月で終了させ、4月から『とんねるずの本汁でしょう!!』をスタートさせたが、視聴率が低迷。1クール足らずで終了させ、急遽始まったのがこの番組である。『おかげです』のスタイルに回帰した内容は視聴者に受け入れられ、『おかげです』末期の人気企画だった「食わず嫌い王決定戦」も「新・食わず嫌い王決定戦」として復活し定番コーナーとなり、長く視聴者の人気を獲得している。 現在は「新・食わず嫌い」が毎週放送されているほか、週替わりの企画が放送されている。基本的に番組前半は週替わり企画を、後半は「新・食わず嫌い」という構成となっている。『おかげです』時代のようなコント企画も2002年頃までは存在したが、現在は「ギャラHigh&Low」など出演者のトークを前面に押し出すコーナーが主となっているほか、最近では若手芸人の演芸がメインの「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」も人気企画となっている。 なお、タイトルは『とんねるずのみなさんのおかげです』とはっきり区別するために「とんねるずのみなさんのおかげで」の下に大きく「した」と筆で書かれた文字が並べられている。タイトルコールも「とんねるずのみなさんのおかげで」のテロップのあとに、2人で「した!」とコールしている(音楽と合わせて「とんねるずのした!」のようにも聞こえるので略称でそう呼ぶ人もいる)。 現在のこの番組においてのトークを兼ねたメイン企画というべき存在である。1997年6月26日放送開始。『とんねるずのみなさんのおかげです』において1995年5月4日にスタートした企画「食わず嫌い王決定戦」のリニューアル版。 開始当初は石橋とゲスト一名の直接対決で木梨は別室で対戦の様子を見守り、解説する(ひやかす)役目だった。その対戦が3週続いた後、今度は木梨がゲストと対戦する予定だったが、木梨自身が特に嫌いな食べ物がなかったため、急遽、2組のゲストを招き、石橋、木梨それぞれのチームに分かれお互いの嫌いな料理や食材を探り当てるという今の形となる。石橋側には女優が多く座る。 ゲストは好きな料理3品と嫌いな料理1品をあらかじめオーダーし、先手、後手の順に相手の料理を指定し、試食させる。 先手、後手の順にお互いに色紙に書かれた品目を見せ(披露)、「なぜ、そう思われますか?」の牧原俊幸アナウンサーの問いかけに、予想の根拠を発表する。 そして色紙に書かれた料理が出され、ゲスト2組が同時に食べる(この時、坂口による「実食」の掛け声が入る)。 ゲストの書いた色紙は不正解の物も含め、番組の携帯サイトでの応募により視聴者にプレゼントされる(2004年以前はハガキでの応募であった)。近年、木村拓哉が参戦した際にはジャニーズ事務所の要望で色紙のプレゼント告知はされなかった。以前までここにエンドロールが表示された。 毎週白熱した心理戦が繰り広げられているが、こらえきれずに泣きそうになったり自分から嫌いなものを言ってしまうこともある。何度出場しても挙動不審となり、だまし切れずに負け続けている泉谷しげると大竹しのぶによる「最弱王決定戦」が行われたが、両者ともに一巡目での的中により引き分け、決着は次回以降へ持ち越すこととなり、さらに最弱ぶりを知らしめる結果となった。 過去にはオーダーする食べ物が5品や3品だったり、怪しいと思った食べ物をもう一度食べてもらう「再食指定」、先にゲストが嫌いなものを言ってそれを見抜かれないようにどういったリアクションをするか、先攻・後攻を決める箸のルーレット(振り箸)などがあったが、これらのルールは2002年までに全て廃止された。 また一時期この「食わず嫌い」のマンネリ化を懸念してか、2000年頃に「家宝楼」という嘘の家宝を当てあうコーナーに変わったことがあったが、やはり「食べもの」の持つ「数字」には敵わず、しばらくして「食わず嫌い」に戻された。 筆入れからの進行役は基本的には牧原俊幸アナウンサーが担当するが、スケジュールの都合で伊藤利尋アナウンサーが担当することもある。ハワイで行う場合は進行役がつかないが、とんねるずが進行する。ちなみに「食わず嫌い」の通算成績は400回記念(12月8日、12月15日、12月22日の400回突入スペシャルも含む)を含めて石橋167勝、木梨136勝、101引き分けと駆け引きと勝負にこだわる石橋がリードしている。 2004年以降は歌手や芸人がゲストの場合、一発で当てられた時には薄暗いセット裏において歌やネタを披露させられる罰ゲームを行っている。2度目以降で当てられた場合にも罰ゲームが行われることが多々あり、これは石橋のさじ加減ひとつと思われる。また、引き分けで勝っても両者罰ゲームの場合もあり、渡辺満里奈と嵐の二宮和也の時になった。ちなみにそのときは『マリーナの夏』&『A・RA・SHI』の2曲メドレーだった。 余談だが、「食わず嫌い」という言葉が「食べたこともないのに嫌いなこと」という意味であるのに対し、コーナーの内容は、ただ嫌いな食べ物を当てるだけなので、『明石家マンション物語』内で関根勤がツッコミを入れたことがある。その関根勤は、初めて出演したときにチョコレートパフェの中に入っている缶みかんが嫌いで食べずに勝利したため石橋にそれはわからないと非難された。また、爆笑問題の太田光は、他人が話をしている最中に、与えられたメニューを最後まで食べている。 『めちゃ2イケてるッ!』(フジテレビ系)の人気演芸コーナー「笑わず嫌い王決定戦」や『ロンドンハーツ』(テレビ朝日系)の「惚れず嫌い王決定戦」のネタ元もここ。「笑わず嫌い」に関しては2004年の『27時間テレビ』内で放送され、とんねるずも出演している(勝敗は笑わず嫌い王決定戦#対戦結果を参照)。また、日本テレビ系で放送されていたとんねるずの冠番組『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』でも「負けず嫌い王決定戦」が行われていた。 2003年7月24日放送開始。「新・食わず嫌い王決定戦」でゲストから紹介されたお土産をランキング形式で紹介する。現在では毎年春のスペシャルで放送されている。紹介されたお土産をとんねるず・ゲストが食べ、募集も行う。スタジオでは実際のお店の方が来て、販売をしている。また、ただ食べるだけではなく、負けた者がそのお土産を自腹で全員・視聴者の分を買うという「おみやジャンケン」が恒例となっている。 『おかげです』時代と違いゲームではとんねるずに優位になるような仕組みになっており、とんねるずが勝つことがほとんどである。また、ゲストがタカアンドトシのときにはとんねるずが負け越したにもかかわらず強引なこじ付けで同点扱いにし、無理矢理ゲームを続行させて最後にとんねるずが勝ったこともあった。この様にガチンコ勝負ではないことを視聴者は理解した上で見ることが求められるが、稀にゲスト及び芸人がかわいそう、という抗議も来る。 毎回、文字の読み上げの際、モジ三(木梨)が高橋アナにセクハラまがいのツッコミもしくはチョップ等の攻撃を入れ、両親(高橋英樹夫妻)に向かって「真麻への愛でございます」などと釈明するのがお約束となっている(釈明時には夫妻の画像が出される場合がある)。 2006年7月27日放送開始。モジモジくんHYPERのゲームの1つ。迫ってくる壁にあけられた穴を頭を使って通り抜ける一種の脳トレコーナー。1人ずつ行い、最後はチーム全員で行う。通り抜けられないと壁に跳ね飛ばされ後ろのプールに落とされる。2チームに分かれ1チームは石橋・木梨とゲスト1人の「スターチーム」、もう1チームは全員ゲスト(主に芸人など)の「四流芸人チーム」である。壁の穴の形は視聴者の応募から出題される場合もある。 壁に空けられた穴は簡単なものから奇妙なもの(あるいは明らかに無理なもの、実は単純なポーズで抜けられる引っ掛け問題も)まであり、たまに簡単な壁穴が一方のチームに集中することがある。また四流芸人チームがスターチームに大差をつけられているとき、四流芸人チームが嘆願しもう1回挑戦することがあり、この場合壁の迫る速度が2倍になる。また司会の伊藤アナが「都会君」という名前で参加したこともある(衣装はスーツのまま)ほか、スタッフが「田舎君」という名前で挑戦したことがある。 このコーナーと類似したコーナー(全く一緒と言ってよい)を持つ番組が韓国に存在している。韓国のテレビ局が日本のテレビ局の番組を真似している事が過去に何度もあるため、当初は日本のネット上でパクリと騒がれていた。だが2007年4月26日の放送で「リメイクという形で、韓国にもこのコーナーが進出した」と紹介され、7月5日の放送では「世界20か国に進出決定」と報告され、10月4日のスペシャルでは実際に各国の脳カベの模様が放送されたため、正規のフォーマットのライセンスと思われる。 食わず嫌いとモジモジ君において、タカアンドトシがいずれもとんねるずに負け続けている事で、一度でいいからとんねるずに勝ちたいという思いから生まれた企画。とんねるずとタカトシのそれぞれのホームグラウンドで戦うもの。第1戦はとんねるずのふるさとであるフジテレビV4スタジオ、第2戦はタカトシのふるさとである北海道、第3戦はなぜかハワイ。3戦ともとんねるずの勝利。第4戦は熱海かラスベガスで勝負が予定されているが、いつ放送なのかは不明。 ゲストが1組ずつ登場し、ギャラの多寡(年収)を当てる。石橋が解答者となり、牧原俊幸アナウンサー(一時期は佐藤里佳アナウンサーや高島彩アナウンサーの時もあった)と木梨が進行を務める(名義は「マッキー&ノリー」)。ちなみに石橋がパーフェクトを達成したのは1回だけである。 2005年9月22日放送開始。ゲストの芸能人の過去の恋愛話をドラマ化し、それをクイズにして答える。間違えると座っている席が動き出し、氷の湯にドボンとなる。 2006年7月6日放送開始。『クイズダービー』のパロディでトークコーナー。正式タイトルは「石橋貴明のトークダービー」(本家と異なり、タイトルコールは大橋巨泉式の「貴明の」でも徳光和夫式の「貴さんの」でもなく、フルネームを言っている)。司会は眼鏡をかけて大橋巨泉に扮した石橋と高島彩アナウンサー(2回ほど、高島アナのスケジュールの都合から中野美奈子アナと平井理央アナの2人が務めたこともあった)。出走パネラー枠(出走馬)は1枠木梨、2〜4枠はゲスト。出走馬4人はテーマに沿ったタイトル(お題)を書く。その後出走馬4人のタイトル表示→倍率表示となる。外走ゲスト陣(外走馬)2人は持ち点1万点からスタートし、一番面白い出走馬1人を予想し持ち点から点数を賭ける。正解か不正解かどうかは石橋のツボ次第で判定。外走馬の予想した出走馬が正解したら、賭けた点数が予想した出走馬が表示した倍率で持ち点が倍増し、逆に不正解の場合は持ち点が減る。賭け方は『クイズダービー』にならって賭けた時点で点数の減らないブックメーカー方式である。獲得した点に応じて豪華賞品がもらえる。10万点を超えた場合はハワイ4泊6日のペア宿泊券を獲得できる。当初は前後編での放送であったが、現在は1日での放送である。 コーナー開始当初はハワイ旅行どころか10万点を獲得したペアは1組もいなかったが、2007年12月27日にフジテレビの女子アナチームが10万点を突破した。しかし、最後の問題で10万点全てを賭けて不正解になり0点になったため、まだハワイ旅行まで獲得した組はいない。(というよりも石橋が意図的に、獲得しないようにしている、余談ではあるが、本家では途中で10万点を超えた場合ではそこで打ち止めであり、賭ける事はできない)温水洋一は1番最初にこのコーナーで商品をゲットしたが、この時は得点を最後にキープするという離れ業をやってのけ、その後の出演ゲストの商品ゲットの礎を作った。また、泉谷しげるは木梨の不正解により得点が無くなった時には自らが出走馬となり得点を再びゲットするという珍事態に発展した。 2006年11月16日放送開始。『おかげです』開始当時の裏番組であり、とんねるず自身も『おかげです』開始前に出演したことがある『ザ・ベストテン』のパロディ。有名人が本業において何の役にも立たない特技(ムダ芸)を披露し、ランキング形式で紹介する。さまぁ〜ずの三村マサカズや、ロンドンブーツ1号2号の亮といった芸人の他、中には大山のぶ代や三原じゅん子、榎木孝明といった大物俳優、女優が出演する事がある。また出演はしていないがC・W・ニコルやムツゴロウという名前もある。また本家の『ザ・ベストテン』同様、最後には記念写真があり、その写真は視聴者プレゼントとして募集をしている。放送開始の第1回目では「今週のスポットライト」というコーナーがあり、別スタジオからVTRで放送された。余談ではあるが、大山のぶ代の「アルカノイド」は、その後『トリビアの泉』や『メレンゲの気持ち』(日本テレビ系)の1コーナー「ビューティフルライフ」でも紹介された。当初は1回の放送で収まっていたが、最近は1回の放送で尺に収まらないために2週連続での放送となっている。 2007年6月7日放送開始。テレビ東京系の人気番組『田舎に泊まろう!』のパロディー。石橋が後輩芸人の家に泊まりに行くという企画であったが、2008年2月21日放送分からは木梨も加わり、「とんねるずを泊めよう!」に改まった。ナレーションは本家同様バカボン鬼塚がやっている。 後輩芸人がかわいそうと視聴者からの苦情の電話が非常に多い企画でもある。しかし、当の被害者芸人のなかにはとんねるずが家に来るということで大喜びでやられている者もいる(バナナマン日村など。ブログ参照)。 2007年2月22日放送開始。かつてのテレビ朝日系の人気番組『川口浩探検隊(藤岡弘探検隊)』のパロディー。本家である藤岡弘、も会長として出演する。隊長は木梨、副隊長は石橋であり、ナレーターは本家と同じ田中信夫である。放送終盤に第2弾の予告が行われたが、何故か未だに放送されていない。 ノリタケーブルTVのチャンネルの1つだったが、2007年11月22日放送再開。日本テレビ系列エンタの神様のパロディ。木梨が、おぎやはぎ、田村亮 (ロンドンブーツ1号2号)、堀内健といったお笑い芸人と組んでコントをするコーナー。司会は伊藤利尋アナと宮瀬茉祐子アナ。 とんねるず(帝京高等学校)、ガレッジセール(那覇市立松城中学校…山田優の母校でもある)、石原良純・森泉(慶應義塾幼稚舎…中学は石原が男子校の普通部、森が共学校の中等部と異なる) 1997年6月26日放送開始。番組開始当初の『食わず嫌い』と並ぶ主要コーナー。石橋が司会を務める『うたばん』(TBS系)のパロディである。当初はとんねるずが歌手のプロモーションビデオやライブなどを面白おかしくパロディするコーナーだったが、とんねるずの後ろで踊っていた番組スタッフが野猿としてデビューすると、この野猿の企画や情報、歌などを紹介するコーナーとなっていた。2001年5月に野猿が解散・撤収するとこのコーナーは消滅するが、パロディのほうの復活の要望が多いということで2002年10月のスペシャルで一夜限りで復活した。また石橋が広末涼子に扮して、「MajiでKoiする5秒前」を歌っていた回の映像は『北の国から'98時代・前編』でドラマの中のテレビの映像としてアップで映し出されていた。 日本テレビ系で放送されていた『嗚呼!バラ色の珍生!!』のパロディ企画。再現VTRはコントのような形式だったが、実際にゲストの会いたい人に会わせるという趣旨だった。また、その「会いたい人」が見つからず、本家の『バラ珍』に捜索を依頼したということもあったという。また、略称であるポコ珍を毎回、西山喜久恵アナウンサーに言わせていた。 「新・食わず嫌い王決定戦」の家宝版でゲスト2人がそれぞれ相手の持ち寄った家宝4品の中から本当は家宝ではない、いわゆる嘘の家宝を当てる。 totoをベースにした企画。毎回視聴者は放送開始数分後までに『新・食わず嫌い王決定戦』の勝敗やコーナー、ミニゲームの結果等4問の予想問題に答える。全問正解者の中から抽選で1名に賞金100万円か海外旅行が当たった。 2〜3名のゲストが騙される企画。大きく分けて、事前に騙されてスタジオのVTRで初めてネタ晴らしをされるケースと先にスタジオでドッキリの内容を発表した後、間髪入れずに中継先で実行をするケースの2パターンがあった。計3回で終わった。元ネタは同局のニュース番組『ニュースJAPAN』だが、テーマ曲は夕方の『FNNスーパーニュース』で18時台に使用されていたテーマ曲をそのまま使用していた。 博士に扮した木梨と助手の石橋、当時フジテレビアナウンサーであった山中秀樹演じる「ロボ」の2人と1台が未来に悪影響を与えるきっかけとなった「不祥事」をタイムマシンの流星号に乗って過去へ正しに行くというもの。ネタの出所は一応『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のようである。「不祥事」のターゲットにはフジテレビ社員も含まれ、時にはプライベートもネタにされてイジられる。2人と1台のキャラクターは、「ロボ」の「中身」以外、デザインもそのままに「博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜」へと引き継がれている。 2002年3月14日放送開始。とんねるずがとある学校の放送室に突然乱入して貸切にしてもらう校内放送ジャック(事前に募集し、学校側の許可後に乱入)。ラジオ番組でよく使用される手法。 2002年5月29日放送開始。『おかげです』時代の「へら」を日本テレビ系で放送されていた『マネーの虎』と絡めたパロディー企画で石橋が本家の吉田栄作の様に仕切る。若手芸能人がマネー獲得のためにプレゼンし、それに対して関卓也プロデューサー(当時)とベテラン芸能人3名が厳しい言葉を発する場面こそ本家と似通っているが、若手芸能人が行う一発芸で関プロデューサーらが口に含んだ牛乳を噴出させられるかがマネー成立のポイントであった。ちなみに本家を真似たオープニング(本家の鞄から札束に対しパロディーは鞄から瓶入り牛乳)に出ていたセーラー服姿の少女は沢尻エリカである。 2002年7月18日放送開始。『ウィーケストリンク☆一人勝ちの法則』のパロディで芸能人の暴露大会。石橋が石田弘プロデューサーのモノマネで司会。また、ゲストにちなんだモノマネをした木梨が末席にいるが、決まって第1ラウンドで退場となる。一度だけ暴露大会ではなく、「ものまねウィーケストリンク」が木梨の司会で行われたこともあった。 当初はスタジオや音楽も本家そのままに使われたが、後に番組フォーマット使用権利が切れたためか「ドーンゲストリンク」にリニューアル。以降はドーンゲストリンク(ウィーケストリンクに相当)に選ばれてしまった解答者が、立っている床が抜けて下に落ちるというペナルティが追加された。後期はアナウンサー暴露大会となった。 特殊メイクで変装した数人の人物の中から指定された芸能人が扮しているのは誰かをトークなどを元に心理捜査官に扮した石橋(石橋・クロフォード)・木梨(木梨・クラリス3世)が推理していく。 海外のリゾート地で芸能人十数名を集めて旅行。ただし、眠ってしまって3カウントでまだ眠っている時点でアウトとなり、即座に日本へ強制送還される。これを繰り返していき、最後まで残った1名が優勝。半ば強制的にリゾートで遊ばされたり、夜は暗めの部屋に押し込められたりと睡眠を誘う仕掛けがある。 ゲストがかつてインタビューで答えた返答など自分自身の過去にまつわるクイズを出題。出題役の天の声は劇団ひとり。 TBSラジオ「伊集院光 日曜日の秘密基地」内コーナー「秘密基地VIPルーム」で行われている「本人クイズ」とほぼ同一内容である。「秘密基地VIPルーム」に秋元康がゲスト出演した直後、「クイズ自分」が誕生したことから、伊集院光はこの件に関して「パクった」「インスパイア」などと同番組内で発言した。だが、実際には1999年にフジテレビの深夜に帯で放送されていた「自分クイズ」が似通ったタイトルからも企画の大元とみられる。 あるテーマを元にゲストと石橋、木梨の答えを一致させる価値観ダベりコーナー。一致すると昭和に発売された品をプレゼント。 2004年8月12日に放送。旅番組風トークコーナー。コーナータイトルは武田鉄矢の楽曲『思えば遠くへ来たもんだ』のパロディ(広島ホームテレビの『思えばトークへ来たもんだ』とは無関係)。 とんねるずの2人に列車乗客が乗車一駅間に「ツボのある話」を話す。とんねるずの2人が話がツボであれば壺底のスイッチボタン(小型・中型・大型2個)を押し、壺底のスイッチボタン全部を押した場合のみ話をした乗客が賞品獲得。乗客は乗車してから次の駅を到着するまでに、とんねるずに話術だけで壺底のスイッチボタン全部を押させなくてはいけない[1]。 ビデオショップゲオ富良野店店長の中年男性が、店長を勤めるビデオショップに入った2度の強盗話で下金山駅下車後に枕を獲得。 石橋チームには上島竜兵と堀内健、木梨チームには山本圭壱と劇団ひとりがメンバーとして入っている。3回目以降は各チーム女性が1人入っている(石橋チームに若槻千夏が、木梨チームには大島美幸が入っている)。2人の指揮者名義は石橋は「石橋シャーク貴明」、木梨は「キナッスィー憲武」となっている。初回はYOU THE ROCK☆が司会をしていたが、不手際があったので降板。2回目以降は伊藤利尋アナウンサーの司会に交代したが、一度だけ(5回目)福井謙二アナウンサーが担当したことがあった。 2005年3月17日放送開始。石橋vs5人1組のゲストチームの1回攻撃で勝敗を競うクイズゲームで、ピッチャーが3×3のストラックアウトで真上のセンターラインの的を当てると攻撃側有利のジャンルに関するクイズ、真下のラインの的に当てると守備側有利のジャンルに関するクイズ、真ん中のラインの的に当てると攻守問わず有利のジャンルに関するクイズを出題。先攻は石橋で、後攻はゲストチームとなっている。ゲストチームは攻守問わず全員が解答する。攻撃側が正解するとその塁が進み、守備側が正解するとアウトとなり3アウトで攻撃終了となる。ただし、ピッチャーがど真ん中を当ててしまうとホームランのチャンスとなる問題となり、攻撃側が正解するとホームランになるので要注意。 2005年8月25日放送開始。『サンダーバード』のパロディ。『おかげです』時代の「サンバーダード」とは異なり、各種ランキングの1位から4位の順位を当てる。正解すればスリッパ(※サンダーバード2号に似た形のスリッパ形ロケット)が見事発車する映像が出て、お肉券が贈呈されるが、不正解だとスリッパが不発で落ちる映像が出て、自動スリッパ叩き機で頭をたたかれる。隊長は中山仁(開始〜)→小野寺昭(2005年9月〜12月)→谷隼人(2006年1月〜)と変わっていった。秘書は主に女子アナウンサーで回ごとに違う(これまでに中野美奈子アナウンサーや平井理央アナウンサー、阿部知代アナウンサーや高橋真麻アナウンサーが担当している)。 2006年1月19日放送開始。「東京都立グズ商業高等学校」の3年B組の生徒(下記のメイン生徒とゲスト)がオリジナルゲームで一番出来なかった人(グズ)を決め、グズは罰ゲームを受ける。担任は小田原敬(照明担当#スタッフ)。メイン生徒は亀有(石橋、モデルは亀梨和也)、木部(木梨、由来は木梨の母の旧姓)、タイガー(東幹久、モデルはタイガー・ウッズ)、牧原(牧原俊幸アナ)(たまに途中どこかで記録係の大山浩文(カメラマン)がでてくる)。教室セットのイメージは『野ブタ。をプロデュース』をパロディしたものとみられる。ちなみに担任の小田原はコーナー序盤とコーナー終盤にいつも木部に教室の用具(机など)を投げつけられる。 日本テレビ系で1998年に放送された『アメリカ横断ウルトラクイズ』のスペシャル版『今世紀最後!!史上最大!アメリカ横断ウルトラクイズ』の内容をパロディ化した企画。石橋・木梨が進行役、番組スタッフが挑戦者となり、本家の1998年『ウルトラクイズ』のルート・クイズ内容・早押しセットなどをほぼ完全再現。決勝はラスベガスで行われ、番組で何週にもわたって放送されたが、決勝のみ放送されなかった。(2008年現在も放送予定はない) 『電波少年』をパロディ化した企画。木梨が当時骨折していた武豊騎手が快方へ向かう様、ヨーロッパの大陸の各所で納豆の材料を集めながら横断、ゴールで集めた材料を使って納豆を作り、武豊に食べさせた。また石橋がTプロデューサーのパロディ「Tタレント」として登場した。本家同様に企画の応援歌があり、とんねるずを除いた元野猿のボーカル2名がWill callというユニットを組んで歌っていた。 2003年9月25日放送。この日は2本立て。まず「食わず嫌い」で小泉今日子と本木雅弘]の豪華対決。その後、「おかげです」時代を含めて15周年を突破した記念に反響(=苦情)が多かったものをランキング形式の総集編で発表していった。スタジオにはとんねるずに怒り持つ50人のゲストが集合。この時の総集編の映像は現在のよりも流れる時間が長めだった。主な反響として、石橋のセクハラ、木梨の理解不能の行動、ゲストへの失礼、食わず嫌いの嫌い物を食べたときの悶絶などがあった。そして、1位はもちろん「おかげです」時代の「木梨憲武死亡ドッキリ」だった。 2005年9月29日に放送。石田弘が任期満了でフジテレビを退社するとの事で企画され、この日TBSが裏番組で『世界の中心で、愛をさけぶ』を編成した事からこのタイトルとなった。司会はとんねるずと高島彩アナウンサー。スタッフが選ぶとんねるず傑作選とされ、「オールナイトフジ」、「夕やけニャンニャン」、「おかげです」、「おがけでした」の映像の中から100位から1位までのランキング形式で発表。「おかげです」時代のVTRも数多く採り上げたため、ステレオ音声での放送が行われた。ダーイシ物もいくつか含まれ1位もやはりダーイシ物だった。 番組のセット・ランキング以外の企画内容は『オールスター感謝祭』を模倣したものである。番組の途中で度々出題されるクイズは、ほとんどが石田(ダーイシコント・隠し撮りのノンフィクション映像)に関するものだった。番組開始当初、主役である石田は鉄板焼きの店で中野美奈子、港浩一らと共に誕生パーティーをしていたが、番組の最後になって呼ばれた。最後は用意されたケーキのろうそくの火を消し終わった瞬間にケーキが爆発。石田の顔がクリームまみれになったが、爆発の威力・範囲は凄まじく、石橋や最前列のゲストも少しクリームがかかってしまった。結局、石田は退社せずに65歳まで社に残ることとなり「誕生パーティー」になってしまった。また、歌手の倖田來未は大のとんねるずファンで有名だか、この特番を見逃した事をうたばんにて石橋に言ったところ、後にビデオをもらったという。 視聴率18.3%(ビデオリサーチ) 2007年8月30日に放送。TBSが裏番組で『世界陸上2007』を編成したため、それに対抗するため1時間に渡って放送。司会はとんねるずと伊藤利尋アナ。そして開会宣言及び大会委員長を藤岡弘、が務め、東軍と西軍の2チームに分かれガチンコ勝負を行った。 尚、この大会にはMVP用に100万円が用意されていたが、藤岡によって両軍で半分ずつという形になるが、石橋が100万円を持って逃走。番組の最後はその100万円を巡って、石橋と両軍の攻防となった。その後は石橋には1万円が贈呈され、両軍それぞれも残りの99万円で1万円ずつ山分けした。 2007年9月27日に放送。「おかげでした」時代を含めての「みなおか」20年目突入記念として企画された。番組冒頭はとんねるずが「ガラガラヘビがやってくる」を歌いながら会場のV4スタジオ入りするスタート。ゲストには「みなおか」に出演した芸能人、プロデューサー等を務めたフジテレビ関係者、同局アナウンサーが呼ばれた。また、とんねるずに憧れて芸能界入りした勝俣州和やおぎやはぎ、タカアンドトシ、ペナルティ、TIMを「とんねるずチルドレン」及び「ガヤ要員」としてひな壇に呼んでいた。放送形態としては部門別にVTRを発表。その幾つかに「最優秀○○賞」を設けた。ちなみに全体のMVPは市毛良枝が受賞した。前述の「石田さんのおかげでした」とは違い、「みなおか」のみでの放送されたVTRになり、近年のVTRも多く登場した。 スペシャルの終盤では番組のエグゼクティブプロデューサーである石田弘の誕生日を祝ってケーキが登場し、石田は2年前と同じ仕掛けではと言いながらろうそくを消したところ、実際は石田ではなく、ひな壇に待機していた勝俣達が大爆発を受けてクリームまみれになったところでとんねるずが「一番偉い人へ」を歌って終了となった。またこのときは「おかげです」時代のこともありステレオ放送をした。 視聴率16.6%(ビデオリサーチ) TBS(制作はMBS毎日放送)で放送している「情熱大陸」のパロディ。2007年12月13日放送。当日放送の食わず嫌い王決定戦の舞台裏を、情熱大陸風に演出して放送した。このコーナーの放送の発端は、木梨自ら「情熱大陸」に出演したいとTBSに持ちかけたが、TBSから断られたために木梨がTBSへの静かな抗議の一環として放送されたものである。ナレーションも本家の窪田等が担当。なお、放送された舞台裏の内容はほぼ全てフィクションである。 『おもいッきりテレビ』の1コーナー「ちょっと聞いてョ!おもいッきり生電話」のパロディ。かつてはこのコントが「おかげです」で放送されていて、久々に復活した。 「モジモジ君HYPER」の人間大砲で葛城ユキのチャレンジ時に負傷事故を起こしてしまったもの(2003年10月に発生)。当然ながらこの回はオンエアはされず、石田弘と港浩一にフジテレビから処分が下された。 勝俣州和の挑戦の時、バナナが苦手で勝俣がバナナを食べる時に欽ちゃんのマネでバナナを食べるという演技を見せていた。その後、再食指定で相手がバナナを選び勝俣がバナナを食べれなくなってしまい、結局実食の時それを選ばれ、負けてしまった。勝俣がバナナを嫌いになった理由はバナナにハエがたかっていたからである。 笑福亭鶴瓶の挑戦の時、サバ缶詰を食べる時点でもう負けを示していた。鶴瓶はサバ料理を見ると蕁麻疹が出るほどの苦手である。 1999年放送の「新・食わず嫌い王決定戦」で野村沙知代が出演した回のみ初頭スポンサーの花王が野村の出演の理由から1度だけ自粛した(その時の提供アナウンスは八馬淳也アナ(当時)だった)。 1999年9月〜2000年10月の3回『FNS春秋の祭典』の主体番組として参加した。かつて『おかげです』で「モジモジくん」でやっていたトイレットペーパー芯早出し、シュークリームロシアンルーレットとかつて視聴者参加企画だった「ダイビングクイズ」を外馬ベッティングクイズとして扱われた。また『カルトQ』を石橋貴明と出演者全員の対決もあり、2000年春の回では石橋は10問中8問正解(そのうちの2問が爆笑問題が正解)したが、2000年秋の回では相当散々だった番組チームが奮起したため、石橋の正解を2問に抑えた。もちろんナレーターも本家『カルトQ』の牧原俊幸アナだった。 番組開始当初はステレオ放送であった。これは『おかげです』時代の名残と野猿の音楽活動の企画など音楽面に対する配慮もあったと思われるが、野猿企画が終了してからは音楽的・ドラマコントの要素が薄れていく。その影響のためか2005年にはモノラル放送となったが、それと引き換えに文字多重放送を開始。さらに2006年からはハイビジョン制作に切り替わった。 プロデューサー・演出:港浩一(初代プロデューサー、現バラエティー制作センター局長兼局内監査)、渡邊俊介 |
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